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2005年12月9日放送のBBCラジオ3のバーミンガム市立管弦楽団の創立85周年記念コンサートの録音を聴いております。この日のプログラムは、
エルガー:コケイン序曲 フォールズ:Dynamic Triptych ブリッジ:There is a Willow Grows Aslant Brook ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第9番 指揮はサカリ・オラモ、2曲目はピアノ入りで、P.ドノホーというもの。 このオケのオープニングを指揮をした縁の人物であるエルガーを含めて、英国系作曲家ばかりの渋いプログラム、特に2番目のフォールズは私の全く知らない作曲家で、BBCのアナウンスを聴く限り、戦間期に活躍したマンチェスター出身とのこと。若干変った作風ではあります(一瞬バックスを思い起こさせる)。 創立記念コンサートというのは、そのオケの考え方や志向がある程度分かる代物だなあと常々思っていて、例えば、2004年7月の100周年記念のLSO(常任はC.デーヴィス)のハーディングの起用とスター・ウォーズに対して、2005年1月の60周年記念を迎えたフィルハーモニア(常任はドホナーニ)のムーティの起用と「ザ・グレート」の違いは、当時のロンドンにおけるオケのポジションや状況(集客状況も含めて)が如実に見えてしまいました。 ただバーミンガムのこのプログラムをこの観点から見ると非常に謎であります。英国物ばかりというのは、英国のオケである以上は英国物でという意識からだろうか?バーミンガムが特にそうした志向を強めているとは普段のプログラムからは思えないし、記念年だから特別という意識なのだろうかとしか思えません。あるいはオラモは英国物が振れますというアピールなのでしょうか(今更する必要もなさそうですけど)。 遠い異国のオケの話はともかく、日本では、先日N響が創立80周年でスクリャービンのレアな2曲を取り上げました。私はこの指揮者に期待していないし、1番、5番はそれほど好きでもないので(さらに風邪をひいていたので)、出かけなかったので演奏については何も言えません。 このプログラムを見て、ぱっと思いついたのは、アシュケナージは、フィルハーモニアでのゲスト指揮者の時と同様に、N響でもロシア物中心に演奏するのかなあということで、その次に、ドイツ物でなかったのは、このオケの歴史や高齢の定期会員の多さからすると選択しなかったこと自体が面白い出来事だなあというもので、最後に、尾高賞とか放送オケとしての活動は反映されないのかな?という疑問なのでした。 さて、N響はこれから何処へ向うのでしょうかねえ、NHK本体のスリム化が求められている中、放送オケとしての機能や意味づけが希薄な団体なので、分離・民営化もあってもしかるべきでしょう(もともと民営オケだった訳ですし)。大河ドラマ等の劇伴のために放送局がオケを持っている必要は特段ないし、BBCやドイツの放送オケのように新しい文化育成のための使命感でもって、演奏不可能に見える作品をバリバリとこなして、人々に紹介する気も無さそうだし。 これから貸して欲しいと言われた「誰も寝てはならぬ」(のみのCD)を探さねば。持っていたかなあ?
駅からの帰り道、iPodで「ヴォツェック」を聴きながら歩いていると、暗闇の中ボンヤリとした照明に照らされた道の一部が変な動きをしていて、「いかん、豆を食いすぎたか!」と思ったら大きなヒキカエルであった。
啓蟄にはまだ遠いが、今朝は非常に暖かだったので、間違って出てきたのだろう。金曜日には雪が降ると予想されているのだが、どうするのだろうか? 曲を「マッチ売りの少女」か「軍人たち」のどちらに切り替えるか悩みながら再び帰路についたのだった。
帰宅したら、UEよりバルシャイ版のマーラーの交響曲第10番の楽譜が届いていた。
UEの赤い表紙に Rekonstruktion und Orchestrierung nach Mahlers Entwurft von Rudolf Barshai(2001) と書かれ、中には短い10番に関する成立史とバルシャイの謝辞がある(独英語)。 クック版と異なり、特段マーラーの残したスケッチや詳細な補筆報告は無い。 クック版との楽譜上の比較はいずれ誰か(金子氏だろうなあ)がしてくれるだろうが、4月のコンサートまでに読んでおこうと思う。 しかし、郵便はひどい、強引に郵便受けに小包を押し込んでその結果、箱の一部が壊れてそこから雨が入ったらしく、中の1冊は表紙からかなりのページが皺皺になっていたのだった(別の人にも購入を頼まれていたので2冊届き、もう1冊は幸いにして雨の被害にあわなかった)。これは抗議ものである。
風邪をひいて頭は重いわ、喉は痛いわ、咳き込むわ、その上、会社でもうとうに終わった話がぶり返して頭に来るわで気分最悪な私とあなたに、IIO氏の
「ラブリー作曲家占い」 をプレゼント(って他人のふんどしですけど)。 因みに私はストラヴィンスキーで、見守る神様は「オレ様」でした。今日の運勢は、「未知の世界に踏み出そう」でありました。もう今日は終わろうとしているんだけど、どうしようか、とりあえず「放蕩者の成り行き」を聞きながら考えよう。 この占い、アイヴスとかリゲティとかノーノとかないのかな、でも「ノーノなあなたは、ユートピアを夢みて歩き続けましょう」とか言われても困るけど。
デザインを変更しました。今日を変更日にした理由は特段ありません。
因みに、iPodしかマック製品は使っていません。 帰宅したらHMVからCDとDVDが届いていました。LDやビデオで持っていた「リヒテル〜エニグマ」、ナガノとリヨン歌劇場による「三つのオレンジへの恋」と、一昨年のルツェルン音楽祭でのアバドによる「トリスタンとイゾルデ」第2幕、ありゃ第2幕だけか、他には何にも収録しておりませんでしたか、って今頃気付いてどうする。 そういえば、ヤフー・ニュースで「ジャンヌ・ダルク遺骨鑑定」というタイムリー(?)な記事があった。 ジャンヌの兄弟達は、火刑後も生き続けており(復権裁判に母親と共に出廷した)、一応貴族にも列せられたので、何らかの形で現代まで子孫を辿れると思うが、そもそもジャンヌの遺骨って何だ? 当時の記録(「パリの一市民の日記」とか)では、ルーアンの火刑台上ジャンヌが一旦窒息死したところで、イングランド軍は衣服を剥がして、民衆にさらし者にし、その後4時間にも亘って油と薪をくべ続けて念入りに焼いて、さらに灰を集めてセーヌ川に捨てたというのだが、イングランド軍の目を掠めて、灰の一部を持ち去った人がいたのだろうか?あるいは傭兵ピエールに実は助けられたのだろうか(笑)。 しかし、遺骨が本物となると聖遺物となってそれを持っている教会は大々的に宣伝するだろうなあ。キリストを包んだという(一説にはダ・ヴィンチがカメラオブスキュラの技術で写したセルフ・ポートレートとも言われる)「トリノの聖骸布」並に信者殺到かなあ。 という訳で、北京ではなく東京の民だし、トリノ・オリンピックに興味がないので「誰も寝てはならぬ」と歌われても、朝まで生中継を見ることなく、これから寝ようと思います。
2月11日(土)すみだトリフォニー
アルミンク指揮、新日po. オネゲル 劇的オラトリオ「ジャンヌ・ダルク」 非常に満足したコンサートでした。 ドミニク役は素晴らしいの一言であります。一方ジャンヌ役も、当初は強気一辺倒な感じでちと一本調子だなあと思って聞いておりましたが、火刑台のシーンの直前でそれが初めて崩れて、計算だったのかと納得(リュック・ベッソン監督の「ジャンヌ」のような感じかな)。女声歌手陣もオケを突き抜けて美しく歌い、フランス語の発音は良く分からないが迫力ある合唱、そして特に重要なフルート、そして存在感たっぷりのオンド・マルトノをはじめとして過不足ないオケと共に素晴らしい出来でした。そして指揮者アルミンクのこの曲の音楽作りについて、私は全く文句がありません。05〜06シーズンのコンサート、リサイタル、オペラでは、先日聞いたブロムシュテット指揮N響を抜いて暫定1位の出来であります。 これならば16日のハンス・ロットの交響曲も大期待で聴きにいけます。 ![]() 明日の新日po.で演奏されるオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を予習中です。若干風邪気味ですが、気合で明日はこの偏愛曲を聴きに行きます。 さて、この曲でしばしば思い出すことは、N響が若杉弘指揮の下で演奏した際(90年?)、繰り返し歌われる File de Dieu va va va! (行け、行け、行け、神の娘よ!) のva va va の部分を 「ヴァ、ヴァ、ヴァ」というフランス語の発音ではなく、「ファ、ファ、ファ」とドイツ語読みさせていたことです。 その時は、この曲を聴く初めての機会でもあり、フランス語も知らなかったので、そういうものとして聞いていたのですが、大学の先輩にフランス語なのにドイツ語のように歌わせていたと言われ、CD(ボド指揮 DENON)を購入して聞いてみたら違っておりました(その後しばらく経ってから聞いたデュトワ指揮N響による再演や、ゲントでの実演では「ヴァ、ヴァ、ヴァ」と発音させていました)。 何故、若杉が異なる発音させていたのかは分かりません。ファ、ファ、ファの方が音として軽いからか(これは、天使がジャンヌに対して呼びかけるセリフとして記録されている)、あるいは当時のジャンヌの住んでいた地方の言葉ではそう発音していたのか? 因みに、上の写真にある楽譜には、対独もついていて、そこではこう訳されていました。 Tochoter von Gott! Fort von hier! 違う曲だな。
2月11日号の週間東洋経済の74〜76ページに「真冬の奏鳴曲(ソナタ)」と題して、日本のクラシック音楽とオーケストラ事情についての小特集が組まれておりました。題名通り、まさにお寒い状況について書かれており、史上最高益を記録する企業が相次ぐ中、ライブドア・ショックで「金儲けだけでエエのか?」という雰囲気もあり、寄付金増のチャンスと狙ったクラシック業界からのお願い掲載記事かなあ、とか思いつつ読んでみました。
当該記事によると日本のクラシック音楽の愛好家は人口比率の1%(130万人?)、公演動員数は440万人/年、市場規模は248億円だそうで、ぴあ総研のエンタメ白書の数字がどうだったかは覚えていないので照らし合わせられないけれども、まあこんなものかなという気がした一方、はて「愛好家」の定義ってなんだろうとか思うのでした。 統計で最も重要なのは「定義」であり、もとになる母集団や範囲、データの取り方なんですが、同記事は、「東京国際フォーラム広報室」の説明ということで、そのあたりは全てごまかしていたので、こりゃあ信用するに足らないなあと無視。 読み進めると、次は札幌交響楽団の近況についての記事でして、こりゃひどい!という状況がうかがえました。前の専務理事の佐藤氏の「まるで子供の集団」という言葉に全てが集約されております。 現在はオケメンバーの意識も経営手法は大分変った一方、台所事情は相変わらず厳しいとのことです。 その次に取り上げられていたのが、東京都交響楽団。他の在京オケと差別化がされていなかったし、それが今後の課題という趣旨の記事の中に、例の契約楽員制度が触れられており、8割がたの楽員がそちらに移行したとのことでした。個々の楽員が腕に自身があって、オケが「東京の誇り」と言われるような音や合奏能力を持てば、それを破壊するようなことは出来ず、契約制度でも事実上の終身雇用とせざるを得ないであろうと思うので、先の騒動は私には全くもって不可解でしたが、蓋を開ければ、契約制を選択していたのでした。これでトスカニーニ、セル、ライナーのような指揮者(当然能力込み)が来れば、都響も変るでしょう。 最後に、「熱狂の日」が成功例として取り上げられていました。ただし、ホールの持ち出しも相当額あったことも書かれており、一種の補助無しには成り立たないのがクラシック音楽の世界だということ、そのための寄付に関する税制改正や寄付される側の財務情報の透明化が必要であると記事を終えています。まあ、金だけではないとはいえ、金の問題が片付けば、大分違う風景が広がるのも事実なので、このあたりの改善が進むことは私も期待しています。ただ、消費税率上昇やら、医療費削減などが議論されているくらいなので、寄付控除の拡大なぞ夢のまた夢でしょうねえ。 さて、本記事とは別にオケマンの匿名鼎談というのもあって、その中でやる気を無くす指揮者の例として「無意味に汗飛び散らして運動会みたいのとか」というのが挙げられております。関西の契約制のオーケストラの指揮者のことかな?
プリメイン・アンプのプリの部分が壊れてしまい、CDPをパワー・アンプ部に直接つないで聞いております。こちらの方が音の出が生々しいというか荒々しく、前に出てくるのは良い一方、長時間聞くと疲れます。
「今年の人を聞く」 その5 今回で終わりです。 トップ・バッターはこの人。 ![]() ・アリアーガ(27.1.1806-17.1.1826) 生誕200年 交響曲ニ短調 サバール指揮 コンセール・デ・ナンシー Aetree IDC6045 見果てぬ夢の記念碑。メンデルスゾーンもかくやとも思わせる古典的な趣きにロマン派の情熱が感じられる作品。 「泣くな、二十で死ぬには勇気が必要なんだ」(E.ガロア、数学者 1811-1832) ![]() ・マルトゥッチ(1856-1909) 生誕150年 Notturno op.70 no.1 ムーティ指揮 スカラ座管弦楽団 SONY SK 53280 生誕150年なのに全く盛り上がりが見られないマルトゥッチ。トスカニーニも取り上げていて、この曲だって「ローマの祭」の後にでもアンコールに演奏されたら、穏やかな幸せな気分で帰宅出来ますよ。因みに、私にはマーラーの「夜の歌」第4楽章の旋律がチラと聞こえたんですが、ソラミミでしょうかね? ![]() ・ヴァイゲル(1881-1949) 生誕125年 交響曲第5番「黙示録交響曲」(1945) T.ザンデルリンク指揮 ベルリン放送o. BIS CD-1077 うーむ、第1楽章の冒頭こそ凄く期待をもたせたのだが、後はモーツァルトの「不協和音」以上に腰砕けであった(聴く人の楽しみを奪わないためにこれ以上は書かないでおきます)。 ヴァイグルはヴィーンでシェーンベルクの同時代人で、一時期はシェーンベルクと行動を共にしたこともあるが、傾向は全く違います(F.シュミットとかアイネムの方向の作曲家)。 ![]() ・パレー(1886-1979) 生誕120年 オラトリオ「ジャンヌ・ダルク」 ペロン指揮 アサンプション・グロット交響楽団&合唱団 GROTTO GP-0005 指揮者ポール・パレーの作曲家としての側面の紹介に熱心なGROTTOのCD。しかしですなあ、演奏が今一だと思うのですけど。なお、作品は「ジャンヌ・ダルク」を掲げているにしては穏やか過ぎる感じです。オネゲルの作品に慣れ親しんでいるからかなあ。 ![]() ・アミ(1936-) 生誕70年 オペラ"Le Premier Cercle" プラッソン指揮 リヨン国立歌劇場o.他 MFA 216040.42 原作がソルジェニーツェン(邦題は「煉獄の中で」らしいが未読。もっとも、「収容所群島」も「一日」も遠い昔に読んで細かい内容は忘れてしまったので、どれでも同じなのだが...)。パリで何気に購入したまま、長らく文字通り「棚」晒しにしていたのだが、アミの「ミサ・クム・ユビロ」を12月に何気なく聞いてしまったために、残っている彼の作品はこれだけだったので聴く。非常に疲れる140分であった。 ![]() ・デュリュフレ(1902-1986) 没後20年 レクイエム op.9 プラッソン指揮 トゥールーズ・カピトルo. A.S.オッター、T.ハンプソン、マリー=クレール・アラン(org) TOCE-55087 フランスの寡作作曲家の一人デュリュフレの、フォーレを想起させる傑作。前で紹介した曲に続けて聞くのが吉かもしれない(プラッソンもこの順番で指揮をしている、ハズがない)。因みにオルガンのアランも今年で80歳(1926年生)。 ![]() ・デュティユ(1916-) 生誕90年 弦楽四重奏曲"Ansi la nuit" Belcea弦楽四重奏団 EMI 5 74020 2 真打の一人でしょうか。生きてセンテナリーを祝うかという感じのカーターに次ぐ長老作曲家。個人的にはこの作品がデュティユの作品の中では最も好きである。もっとも、(比較的)シンプルなピアノ・ソナタの次にこの曲の楽譜を見ると頭が痛くなるが。 ![]() ・林(1931-) 生誕75年 弦楽四重奏曲第2番「レゲンデ」(2楽章版) アルディッティ弦楽四重奏団 fontec FOCD2534 「天安門事件」云々抜きに、傑作であると思うぞ。少なくともショスタコーヴィチ晩年の作品群に慣れ親しんだ人ならば、この作品に魅せられると思うがねえ。 ![]() ・ブソッティ(1931-) 生誕75年 ロレンザッチョ交響曲 シノーポリ指揮 NRD交響楽団 DG 437 739-2 今でも生きているのか作曲しているのか知らないが、絵画のように(ヘンテコな)楽譜を書いていた(いる?)ブソッティ。何がどうロレンザッチョなのかは購入して早20年近く経っても分からないが、ともかく奇妙な味わいの音楽を楽しんでおります。しかしシノーポリとお友達だったと聞いたのだが本当だろうか? ![]() ・カーデュウ(1936-1981) 生誕70年 没後25年 大学("The Great Learning") より第7節 カーデュウ&スクラッチ・オーケストラ 全曲は堪忍して、という感じですが、邪魔にならない音楽ではあります。しかし、「大学」そのものを読んだことが無いので、作品とどう関係しているのか私には分かりません。 ![]() ・ショスタコーヴィチ(1906-1975) 生誕100年 オペラ「鼻」 アルミン・ジョルダン指揮 ローザンヌ・オペラ RSR6183 大本命登場。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の方が相応しかろうかと思いましたけど、スコア見ながら聞こうと思ってこちらにしました。これを聴くと「マクベス夫人」って(筋はともかく)まっとうなオペラの流れの中にあるんじゃない?とか思うのですけどねえ。これもリブレットはフランス語だけだし、楽譜(旧全集)はロシア語だけでセリフが分からん!ナガノ指揮ベルリン州立歌劇場の公演がDVDで出ないかなあ。 ![]() ・ヘンツェ(1926-) 生誕80年 オペラ「若き恋人たちのエレジー」 Akina指揮 ベルリン室内オペラ管弦楽団他 ドイツ・シャルプラッテン DS 1050-2 多分この曲唯一の全曲盤だと思うのですけど、実は全曲ではありません。1989年改訂版の楽譜で言えば、第3幕第6景の終わり1/4くらいから第8景までがすっぽり抜けています。第6景で詩人ミッテンホッファーとその秘書が若き恋人たちを見殺しにし、その心象風景のようなこの曲で唯一と言っていい壮絶なオケの狂騒が終わると、いきなりミッテンホッファーが出てきて、「若き恋人たちのエレジー」を読むという最終シーンにつながり、そのままエンディングを迎えてしまいます。つまり冬山で遭難して「トリスタン」並に愛の二重唱を歌いながら死に絶える恋人たちのシーンが無いのでした。 ベルリン州立でこれを見て、その後にこのCDを購入して。ありゃ?と思ってしまいました。因みに録音は1989年9月で、このオペラの来歴に詳しくないのですけど、ヘンツェ・エディションの抜粋盤でもこの部分は割愛されておりまして、このシーンが余計と思われているのか、後で付け加えたのでしょうかね(日本初演ではどうだったのでしょうか?)。 なお、このディスクの歌唱はドイツ語(本来は英語で歌われますが、楽譜にはドイツ語用に音符が補われています)。 ![]() ・グバイドゥリーナ(1931-) 生誕75年 T.S.エリオットへのオマージュ(1987)より第7曲「罪はまぬがれ難きもの」 ウィトルシー(s)、クレーメル、クーレン、ゲリンガス他 DG F00G20384 T.S.エリオットがミッテンホファーという訳ではないですし、その罪について考察しようとか言うわけではないのですが、最後に何となく相応しいかなと。 Sin is Behovely, but All shall be well...
昨日とは別のロンドン在住の知人からメールが来まして、これから小澤亡き後のヴィーンに「イドメネオ」を見に行きますと書かれていました(誤解が無い様に言えば、小澤は亡くなっておらず、病気療養中です)。小澤の代打はP.シュナイダーでしょうか?帰国してから当然ながら「法悦の計画」作成を放棄しているので、全く欧州でのオペラ・ハウスやコンサートの動向には縁遠くなっています。
さて、知人のメールによると、C.シェーファーも出演したパリ・オペラ座でのドン・ジョバンニ(11月だったかな)は、指揮者(カンブルラン)と演出家に大ブーイングが飛び、歌手陣にもブーイングが飛ぶか、力ない拍手だったそうで、こうなると「フィガロ」も心配であります。ファンとしては、シェーファーがカーテン・コールで登場した時だけでもブーに負けないようなブラボーを言うべくパリに行かなくてはいけないのではないかと若干悩んでいます。 母から、毎週ある水泳教室を休みたくないので、奥秩父の蝋梅鑑賞ツアーに行くのを今年は止めて来年に行くことにしたという話を聞いて、マーラーの「大地の歌」を思い起こしてしまった。来年は誰にとってもあるのだろうか? ともかく鬼は外、福は内で、南南東に太巻きを食え!でしょうかね。
帰宅してみると、先日ヤンソンス指揮コンセルトヘボウのロンドン公演には行くべきかはどうかと尋ねてきたロンドン在住の知人から、「パリでフィガロを見ようと思うがどうか」というメールが届いておりました。
その人物曰く、C.シェーファーを聴いた事が無いけれど、どういう人か写真を見たら、お姫様は似合うけどケルビーノはどうかなあとのこと。私は容姿だけで聴いているのではないのですけど。ただ、スザンナ役がレパートリーに入っている(未聴)はずなのに、何故ケルビーノ?という気もしています。覚めたケルビーノ? パリまで行って帰る時間(最低2泊4日)が取れない、これは遠い遠い異国の話であります、と納得して返事を書こうかと思ったら、当のパリのオペラ座からも案内メールが来ておりました。ため息しか出ません。 ともかく、「いくべし」とだけ回答しておこうかと思います。ただ、ガルニエ宮での公演なので、バスチーユのように簡単にチケットが取れるかなあ? 因みにヤンソンスについては、ショスタコーヴィチの7番のプロと「英雄の生涯」のプロの両方とも彼を実演で聴く分には良いから行った方が良いと答えておきました(満足しておりました。良かった良かった)。
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