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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2006.04.30 Sun » さようならボーナス(予定)、さようなら交通博物館

テレビがいい加減寿命が尽きつつあるので、地デジ対応液晶テレビを買おうと思ったら、そよれりエアコンが欲しいと母が言い出し急遽変更。エコアン嫌いだったのにさすがに寄る年波には勝てないかと、近所のヤマダ電機でナショナルの10年掃除不要という機種ほか3台購入。あっというまにボーナス(予定)が消えていったのだった。しかし、TVも買わざるを得ないとすると、冬のボーナス(予定)も消えるということか?


そのまま秋葉原へ向う。有名だけど高くて量が非常に少ない蕎麦屋で軽く腹ごなしをした後、交通博物館へ。この5月14日でもって閉館され、2007年秋にさいたま市に再オープンするとのこと。1985年頃から秋葉原をほっつき歩き始めても、何故か行ったことがないので、閉館前に見学。

中は親子連れのみならず、若いカップル、てっちゃんと思しき少年とおじさんで芋の子を洗う状態であった。手狭なところに目一杯展示し、かつ各種シュミレーターに行列が出来ていて、移動もままならないが、無理して全部見た。結構面白いだけでなく、レールの切断されたものを大量に並べるとか、「国鉄」「民鉄」という言葉が説明文に残されているところなど、洗練されていないところがまた良い味を出している。しかし、都内の一等地かつこの手狭さではこれ以上の発展のしようがないと踏んでの閉館なのだろう。新交通博物館には、満鉄のアジア号を、当時としては画期的であった冷房装置付きの客車込みで展示して欲しいがねえ。

という訳で、まだ行ったことが無い人も一度くらいは見ても良いかも。入場料は大310円、子供150円。


その後、ボーナス(予定)で買う予定であったはずのパソコンを眺め、本屋でナショナル・ジオグラフィック4月28日号(ユダの福音書とチャールズ皇太子の農場特集)および芸術新潮(初めての武満徹)を購入してから帰宅。「ユダの福音書」は別途本が出るそうだ。

しかし、パソコンも5年も立つと様変わりだねえ、というか機械を買わせるためにOSは巨大化し(今度のVISTAは、メモリーが500MB近く必要らしい)、ソフトもますます重くなるしで困ったもんだ。



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2006.04.29 Sat » プロムス2006

どうも、という訳でプロムス2006のプログラムが公表されていました。

プロムス2006


今年は、モーツァルトとショスタコーヴィチにほぼ占領されている感じです。個人的には、ヴァイオリニストのツェートマイアーによるブラームスのヴァイオリン協奏曲の弾き振りとか、ペインによるエルガーの「威風堂々第番」とかアンドリュー・ディヴィス指揮ピッツバーグ響によるアイヴスの2番、アダムスのMy father knew C.Ives.とかゲルギエフによる「マクベス夫人」、エマールの弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番などに興味があります。

ロンドンに録音指令を出しておかねば。プログラム・ブックが欲しいなあ。



2006.04.28 Fri » バルシャイ自作自演

どうも、コンサートから戻ったところです。という訳で読売日本交響楽団によるバルシャイ編マーラーの交響曲第10番@サントリーを聴きました。

編曲については、まあ今更言ってもでしょうが、せめてタムタム、ゴングそして小太鼓を外して欲しいです。音響的に違和感ありありどころか、音楽を寸断するなど邪魔している感じすらあります。ギターはスピーカーを使っているんだろうなあ。クック版になれた耳には、音響的にも、構成的にも収まりが悪いものです。


さて、演奏ですが、その指揮ぶりは非常に奏者には演奏しづらそうでした。第1楽章冒頭のヴィオラから合奏がズレまくっていましたし、その後も指揮を無視して自律的に進行できる部分から、テンポが変化するところ、あるいは巨大な音響から弱音に転じる部分では、出が揃えられず、いきなりヘナヘナとした響きになり、徐々に立ち直っていって帳尻を合わせるという状況がしばしば耳に付きました。また。金管のみならず木管もペーとかピャーとか外していて、以前スクリャービンやニールセンを聞いたオケとは同じと思えないほどミスが多かったです。練習不足かトラが多かったのか?

解釈については、ご本人のものなのでこれがベストかというと、ストラヴィンスキーの自作自演程度に受け取った方が良いのではないでしょうか、「裏切られた遺言」byクンデラかもしれませんがって、まだバルシャイは死んでいないんですけどね。何にしてもどの楽章もテンポが速い、また各楽器の音響バランスをどのように指揮者が調整しているのか、さっぱり分からないくらいオケの響きに纏まり感がなく、ソロがテンでバラバラに自己主張しているかのようでありました。

楽譜と聞こえる音響が違うのが、単純な演奏ミスなのか、解釈(その日の気分?)なのか分からないところが満載でしたけれど、第5楽章冒頭で3回鳴る「サロメ(=アルマ)」のテーマのうち最初の2回の記譜はおかしいなあと思いました。本日の演奏ではあたかも16分音符のように鋭く演奏されていましたが、楽譜ではSchnellと書かれていても8分音符だったので、実演のあれはないでしょうと思うのでした(何故か、後の方では16分音符で記譜されている)。それとも演奏の度に手を入れているのかな?


ということで、バルシャイ以外の人が振らないと、この曲の実像は分からんなあという気がしています。

2006.04.25 Tue » 今年はダルバヴィだそうで

サマフェスの今年のテーマ作曲家は誰かな?と思ったらダルバヴィ(1961年生まれ)であった。

サントリー・ホール公演

目玉は(多分)日本初演のピアノ協奏曲、独奏に世界初演者(だったはず)のアンスネス、指揮が本人というあたりに意気込みを感じたとはいえ、テーマ作曲家の管弦楽曲がこの1曲だけというのはちと悲しいなあ、まあディスクも数枚しかないから仕方ないか。

もう一つの特集は現代音楽のパトロンの一人パウル・ザッハーを巡る作品集。バルトークやストラヴィンスキーから始まってブーレーズや武満あたりまでの委嘱作品が紹介されるものであった。

それにしても予算制約や歌手の問題があろうと思うが、サマフェスで現代オペラのさわりだけでも良いので必ず1作位は取り上げてくれんかねえ。新国や他のオペラ団体が通常公演でリームやデュサパン、エトヴェシュやアンドリーセンを取り上げる日は多分来ないだろうから、せめて一体どんなものかを垣間見せてくれるだけでも良いのだが。特にデュサパン、レヴィナス、エトヴェシュは、パリやリヨンあるいはベルリンやハンブルクでかなり頻繁に取り上げられていたにもかかわらず、どうにもタイミングが悪くて生で見れなかったので、よけに見てみたい。

そう言えば、アンドリーセンの「フェルメールへの手紙」のCDがBBCマガジン5月号で取り上げられていた。DVD化の話もあるそうだが、今回はとりあえず音だけとのこと。1回はコンサート形式、1回は舞台で見たが、これはグリーナウェイ風の舞台(リブレットはグリーナウェイだが、演出はSASKIA Boddekeによる)があったほうが絶対に良い作品である。




Vermeer.jpg


オランダ国立劇場での初演時のポスター


Vermeer_affiche.jpg


オランダ国立劇場での再演時のポスター

2006.04.24 Mon » バツェヴィチ、Who?

牛の放牧が始まったというNHKのニュース、その中で「牝牛の乳牛」とのたまっていたので、思わず「牡牛の乳牛もいるのか?」と突っ込みを入れてしまったSt.Ivesです。


昨日、「ティト」の帰りに「ぶらあぼ」を眺めていたら、来月から1ヶ月以上も日本に滞在してリサイタルを行なうツィメルマンのプログラムのうち、東京文化会館分が公表されていました。埼玉分はまだ未定とされ、他の日は違うのかなと思いつつ見たプログラムはこんな感じ。


モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調k.330
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調op.13「悲愴」
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
バツェヴィチ:ピアノ・ソナタ第2番ほか

最後の「ほか」って何だとしても、ラヴェルまではロンドンでの2005年のリサイタルと同じ。美しい硬質な、でもちょっと私には退屈だったモーツァルト、ポリーニの演奏とは大きく異なるダイナミック・レンジを大きく取った「悲愴」、モーツァルト同様に美しかった、でも退屈しなかったラヴェル、そしてあれ?ショパンの2番ソナタじゃないし、バツェヴィチって誰?

という訳で、タワー新宿にてCD購入。そのCDは、バツェヴィチのソナタのほか、ルトスワフスキの「民謡集」、「牧歌集」、セロツキのソナタと「ア・ピアチェレ」、シコルスキの「ぼんやりと、ただ外を眺めて」という全く未知の作品ばかりを収録していて、さらにピアニストも藤原亜美というこれまた知らない人。国内盤(Regulus RGCD-1004)3000円なりで、ちと高かったが、仕方なく購入。もっとも、購入CD10枚のうち必ず1枚は未知の作曲家か未知の作品を入れることを自らに義務付けているので、内容についてはまあいいかということであります。

さて、バツェヴィチ。CDの解説書および手持ちの事典を当ると、1909年1月5日生まれ、1969年1月17日に亡くなった女性の作曲家。第1回ヴィエニャフスキ国際コンクールに優勝するほどのヴァイオリンの腕前に、ピアノも相当上手かったという(CD解説によると、第2ソナタの自身の録音があるらしい)。
ポーランドから1930年代にパリに留学し、かの地で例の女性に作曲を学び、新古典派に軸足を置いた作風とのこと。この1953年作曲の第2ソナタもそんな様式美は感じられたが、よりバルトークっぽい荒々しい響きにあり(事典にもそう書かれていた)、もしかしてピアニスト100で埼玉芸劇に登場したツィメルマンがアンコールで弾いたの超絶技巧曲はこの人の作品かな?と思わせるもの。

彼女は、作風的には12音にも影響されているとのことだが、この曲はヴェーベルンの変奏曲のようなもんではなく、バルトークのソナタに近い。実際のところ12音に本格的に近づいたのは、1958年作曲弦楽とトランペットと打楽器のための音楽(略して「弦トラ」とは誰も言わない)以降らしい。

最後に相応しいそれなりの規模と内容を持った作品だが、聴衆がこれで満足してくれるかは微妙。多分ショパンの何かをアンコールで弾くのではなかろうか。個人的にはロンドンで聴きそこなったゴドフスキーの「ジャワ組曲」から何か引いて欲しいのだが。ともかく、日本公演にもかかわらず変った曲を選んでくれたツィメルマンに感謝。


さて、CDに戻るとこのバツェヴィチ以上に忘れがたき曲があった。セロツキのソナタである。「ワルシャワの秋」の立役者で、現代音楽のポーランド楽派(っていっても統一的な作風は感じないんだけど)の一人として名前は知っているが、この人の作品は聴いた記憶がない(どこかの音楽祭○○年記念CDに入っていたとは思うが確認できず)。

1955年作曲のソナタ、「ワルシャワの秋」は何時から始まったかなあとか思いながら聴き始めて、すぐに噴出してしまった。というのも、解説には「プロコフィエフ風の楽章」と書かれていたが、これは「風」ではなく「パクリ」というのではなかろうか、それもプロコフィエフの第7ソナタの!
このソナタの後に収録されているア・ピアチェレ(1962/3年)は、不確定性を取り入れたまさにブーレーズの第3ソナタ等を思い起こさせる作風と大きく方向転換。ブーレーズが全くプロコフィエフを評価していないと知って、パリで学んだ例の女性の作曲の教師から「転向」したのかなあとか思うのでありました。

という訳で、音色がもう少しあればいいなあと思いつつ、しっかり弾いている演奏も含めて楽しめたCDなのでした。
その後調べたら、HPがあったし、いかなかった4月22日のブーレーズin奏楽堂にも出演していた。行かなかったのは失敗であった。


これからソロニツキーの弾く、スクリャービンのピアノ・ソナタ第4番を聴こうかと思います。この曲はリストのロ短調ソナタの影が色濃いんだよなあ。

2006.04.23 Sun » 非常によござんした

4月23日 新国立劇場

モーツァルト オペラ・セリア「皇帝ティトの慈悲」

ティト:高橋 淳
ヴィッテリア:吉田恭子
セルヴィーリア:菊池美奈
セスト:谷口睦美
アンニオ:穴澤ゆう子
ブブリオ:大塚博章
死:エマニュエル・ヌブー
医者:中吉卓郎
看護士:安藤みどり
子供&ライオン:下飛田光、杷野真弓

指揮:ユベール・スダーン
演奏:東京交響楽団
合唱:二期会合唱団

演出:ペーター・コンヴィチュニー
美術:ヘルムート・ブラーデ
照明:マンフレート・フォス
ドラマトゥルク:ベッティーナ・バルツ

ハンブルク州立歌劇場との共同制作


面白い舞台は何度見ても面白いのですけど、それもやはり歌手とオケがあってこそで、正直なところ演出を楽しみに出かけたら、歌手とオケが素晴らしかったです。

まず、歌手陣。演技を含めてどの歌手も良かったのですが、中でも皇帝ティト役の高橋淳が筆頭にあげられしょう、その声は良く通り、輝かしいだけでなく、第1幕の鷹揚さが第2幕途中から深刻な影を帯びはじめ、最後には、合唱と対抗しつつ歌う部分では、かなり傷ついたハズなのに許さざるを得ない場面において、少しぶっきらぼうに感じられるようにまで変化してゆき、この役にぴったりでありました。当然ながら満座の拍手を受けていました。
これに続くはセスト役の谷口睦美とヴィッテリア役の吉田恭子でありました。日本人の目からするとオーバー・アクション気味なところ(かつ結構動き周る)、それと見せずに演技しつつそれぞれのかなり長いアリアを延々と美声で破綻なく歌い続けてくれました(総じて、第1幕より第2幕の方がより良く聞こえたのは何故かな?)。

意外だったのはオケ。非常に柔らかい響きでした、ハンブルクのオケが昔のN響みたいなきつい音を出していたことはともかく、このところ幾つか聞いたモーツァルトはいずれも細身の音だったこともあり新鮮でありました。スダーンの日本語は良く聞き取れませんでしたけど(笑)。

演出については、ドイツ語字幕から日本語字幕になったので、「ハート」の部分だけでなく、今回のリモコンは、日本語、韓国語(韓流と表示)、フランス語、ドイツ語でありました、セリフとの関係が練られているなあということがよく分かりました。
このほか、記憶から抜け落ちていた部分、後半の死神はバセット・ホルンを持って登場するところとか、自殺しようと色々試すのに、全部失敗するセスト(最初の自分で自分の首をつろうとするのに当たり前のように失敗したシーンに笑いが出なかったのは、ドイツと日本の笑いのツボの違いなのかな?)、皇帝が歌っているのに邪魔をする子供や、その子供たちによるライオンの登場、胸像との対話、そして「大混乱のローマ」さながらのエンディング等々(劇場内で、「買えばオペラがもっと面白くなる」とのコピー付きで売られていたモーツァルト・クーゲルも登場していました)。

また、第2幕でティトがアリアに茶々を入れる(そしてアンニオの歌をセルヴィーリアに歌わせる)部分を始めとしたドイツ語で喋られた部分は日本語で喋られていまして、「そうだったのか!」的なところが多かったです。それにしても、イタリアで競技場へと歌うブブリオに日本語で「いーよ」と応えたのは爆笑ものでした。

因みに、皇帝は休憩時間中ホワイエに出て拍手を受け、「望月氏と違って肖像権は無いから(言わないかから?)」とか言ってファンと並んで写真を取られていました。その後チケットをヒラヒラさせながら入場。残念なことに幸いなことに、席に座っている人はいませんでした。また、医者役が二つ隣の席から立ち上がったのには驚きましたね、第1幕の最初から座っていて、普通のお客さんだとばかり思っていました。このシーンはハンブルク同様に受けていました。

最後に、パンフレットは1000円でした。その中身は非常に濃くお買い得でありましたし、表紙にはハンブルク公演のパンフレットの表紙がデザインとして使われており、しばし感慨にふけったのでした。


という訳で、心から楽しんだ公演でした(これでもう一声でハンブルク並みのお値段だったらなあ...)。次の二期会公演は来年のR.シュトラウスの「ダナエ」に行く予定。

なお、4月19日分を修正しました。青地が今回の公演です(第2幕は殆ど今回の公演によります)。

2006.04.21 Fri » 主のないコンサート

芸大オケ&野平氏によるブーレーズ作品のみのコンサート@奏楽堂に行ってきましたが、うーむ、ブーレーズ生誕80年が、極東の島国でこれだけ、かつ(アマチュア・オケとはいえ)この程度の演奏のみで祝われるのかと思うと、楽園追放にただただ嘆息するのみであります。
それにしても、狭い奏楽堂にあの大編成でも鳴らない、それにノリのないゴタゴタしたノタシオンIIには、かえって驚愕。ロンドンの聴衆があまりに受けたので、ブーレーズはLSO相手にこれだけコンサートの途中ににもかかわらずアンコールしていたのは今となっては懐かしい。


さて、ピアノのノタシオンは、がっちりとした、清潔な演奏でありまして、酷いホールと無関心な聴衆相手に苦戦していた内田光子よりは良かったのですけど、音色的な面ではエマールの方が好みであります。


明日は室内楽編ですけど、うーむ「二重の影の対話」も向うで聞いたし(この間もタケメモでアラン・ダミアン自身の演奏で聞いたし)、"Sur incises"もブーレーズ自身の指揮、コンテンポランを向うで聞いたしなあ、それよりもティトの予習でもしようという感じ。

2006.04.19 Wed » 皇帝ティートはそれほど慈悲深くなかった@ハンブルク

グリーグの弦楽四重奏曲(op.27)の弦楽オケ合奏版(CLASSICO CLASSCD669)を聴きながらですが、この曲に欲しい機動性が欠けていていまいちであります。


さて、忙しいのでブログの埋め草&復習を兼ねて、昨年5月、「さよならメッツマッヒャー!」でコンヴィチュニーとの数々のコラボレーションを上演してくれたハンブルク州立歌劇場での「皇帝ティートの慈悲」のアップし忘れ報告(しかし後で登場人物を埋めようとした空欄が多いし、第2幕以降が超短縮版しか見つからないなあ、まあいいか、そのままアップしちゃえ)。しかし、振り返ってみると、昨年5月から6月に見聞きしたコンサート・オペラの報告していないのが多いです。あのよぼよぼ足のプレヴィン翁指揮LSOによるウォルトンの交響曲第1番で終わった素晴らしい日々よ!書き溜めたままのものが多くてねえ、一応来年6月の新国劇での「薔薇」の前に、ドレスデンで見た2005年6月の「薔薇」をアップ予定(鬼が大笑い)。


という訳で、ネタばれありなので、これから新国劇で見るのを楽しみしている人は読まないで下さい。あっ、でもひとつだけ忠告、自分の購入した席から空いている席に座らない方が良いですよ。とっても後悔しますから。でも、密かに私は期待して無理して1階席の前の方の高いところ買ったんだけどね。





(ここから)


行く前にレヴァイン指揮メトのライヴを流し聞きした程度だし、他の演奏で特段聞き込んだものもなく、当夜の演奏の特徴を比較しつつ述べることはできません。ただ、「楽しい」音楽であったことは事実です。メッツマッヒャーのモーツァルトは、例えばラトルのようにモダン楽器での演奏にもかかわらず、古楽器演奏の特徴が刻印されたものではなく、オーソドックスの中にも、小編成による軽く、浮き立つような音で演奏させておりました。


この公演の最大の売りは、達者な演技の歌手と合唱団、そして指揮者まで巻き込んだコンヴィチュニーの楽しい演出であります。


私の座った席は2列中央で。うーむ、指揮者がいつになく高い位置で振るので非常に舞台が見辛く、直ぐ斜め右前の1列目に二つ空席があったので、第2幕はそこに席替えしようと思いつつ見始めました。

第1幕
舞台には白い幕が下ろされている。そこにはドイツ語で字義通りの「古代ローマの出来事」のほかに「てんやわんやの大騒ぎ」という意味が書かれていました。実際の舞台も、てんやわんやの大騒ぎでありました。


また、幕の前には譜面台が一つ置かれており、場内が暗くなると劇場の人が出てきて、場内の笑いを取りながら今夜の舞台のある役(忘れた)が3役で行なわれる説明を行っていたようでありました。まあ、よくしらオペラだし、クチパクはもう何度となく見ているのでそんなもんねと聞き流す。


メッツマッヒャーが登場し、序曲を演奏し始める、すると休符のたびに照明が暗くなったり明るくなったり。メッツマッヒャーが舞台袖に向かって「どうなっているんだ?○○!(人名は不明)」と叫ぶと舞台袖から「すいません!」という感じの答が返ってくる。仕方ないなあと再び振り始めるが照明はおかしいまま、そのまま強行。

二期会公演では、指揮者ではなく、舞台の袖から「照明係!最終日だ
というのになにやってんだー」の声。その後、劇場支配人が出てきて、もう一度序曲をやり直すことにする。


幕が上がると、青色の背景、新聞紙で作った張りぼてのうえに白いペンキを塗っただけの南門傍にあるピラミッドや、フォノ・ロマーナにある建物群のミニチュアの舞台美術といった、如何にもチープな古代ローマのイミテーションが登場。


そこにセスト登場。衣装は白のジーンズのジャケットにパンツさらにしばらくすると白のドレスを着た皇后が現れ皇帝暗殺を命じている。しかしそれを影でこっそり聞いている皇帝ティート。彼は、金色の胸当ての上にキリスト教国教化以前の古代ローマ皇帝の色であったという赤のガウンをはおり、頭には月桂冠を被っている。


さて、舞台には口パクで演技する役、そして袖には茶色のドレスを身にまとった美女がレチタティーヴォを暗譜で歌い、その横には濃紺のロング・ドレスを身にまとったヴィッテリア役が譜面を見ながらアリアのみを歌う。非常に不思議な光景、文楽みたいであった。レチタティーヴォを歌う彼女は、非常に疲れている感じでありました。なお、アリアを歌ったはスペイン系の(私好みの)黒髪で長身の美女でしたけど、舞台上の喜劇的な状況にある意味お構いなく、眉間に皴を寄せたり、時に舞台を遠目に眺めたりといった感情表現いっぱいでアリアを歌い、1曲歌うごとに喝采を浴びておりました。最後のアリアを歌い終え、これまでになく場内が大喝采を送ると、このときようやく荷が降りたことに安心して笑顔をみせて聴衆に応えていた。それにしても、ヴィッテリア役の歌手は口パクだけでかわいそうな扱いであったなあ。


さて、白のスーツ姿のアンニオも現れ、ナイフを突き出しつつ歌うヴィッテリアにセストともども困惑しつつ対応。

続いて、ハート型の穴の開いた赤いトイレ・ボックスから皇帝が登場。中で本を読んでいたようで、この赤いトイレとハート・マークの形は、きっとコンヴィチュニーがコペンハーゲンでの「エレクトラ」(今年3月)を演出しに行った際、街中を見物して思いついたんだろうなあ。あれは私にはどうみても、新オペラ・ハウスと運河を挟んだ向かいに立つデンマーク王室の宮殿を警備する近衛兵の待機小屋を思い出して仕方なかったですよ。

二期会公演では「殿方」と漢字も大書されていました。


その皇帝を嘉すべくローマ支配地から朝貢者たちが登場。しかし、彼らの姿は古代ローマのそれではなく、オランダ、スペイン、トルコetc.と思しき民族衣装を羽織っておりまして、古代ローマの版図の表現かとおもわせつつ、その中に粗末な毛皮だけを羽織った荒い長髪の人々がいて、丸々1頭の豚ならぬ猪を持ってきていて、あれはもしかしてライン川以北の人々(つまり現在のドイツ人)なのかも…

二期会では、遊牧民の衣装の人が羊を、そしてライン川向うの人々がビール瓶を持ってきておりました。それとイスラム系の衣装の人が多かったような気もする

なお、皇帝陛下、猪や果物や織物といった現物よりも、どこかの国が持って来た袋入りの金貨がいたくお気に入りのようでした。かなり俗物

二期会ではそれほど俗物とは見えず。

さて、彼らが去るとセストとアンニオが登場。皇帝との対話が始まる。皇帝は途中でやおら立ち上がり、舞台奥に行き、ビール瓶1ダース入りケースを持ってきて、二人に奨める。二人は困ったと思いつつ受け取るののだけれど、セストは中々栓を開けられない(昔の跳ね上げ式のキャップ)。見かねた皇帝が開けてあげ、ラッパ飲みしつつ、さらに二人にビールをもう一本勧める、さらに困る二人。それにしても皇帝も飲んだビールの銘柄が分からなかったのは残念である。ホルステン(ハンブルクの銘柄)かなあ?

二期会公演でも銘柄不明。


舞台が回転し、セルヴィーリアの家(キッチン兼ダイニング・ルーム)。ダイニング・テーブルの椅子に座って皇帝からもらったビールを飲んでいるアンニオ。ダイニング・テーブルのカバーが白とピンクの格子模様で、花が飾られていたかは覚えていない。その向こうに白地に黒の水玉(?)のブラウスを着てかいがいしく料理をしているセルヴィーリア。屋根からはちゃんと白い煙が時々思い出したようにポッポッと吐き出されて、場内で指差す人多数。変に細かい舞台美術。


二人は歌っているうちに感極まっていちゃいちゃし始めたので、メッツマッヒャーは音楽を止めて譜面台を指揮棒で叩きながら、「そこの二人!」と注意。神妙な面持ちでかしこまって再び歌いだす二人。しかし、セルヴィーリアは歌うのに気を取られて中瓶の塩を全部鍋に注ぎ込んでしまったのだが、大丈夫だろうか(その後何事もなく二人でそれを食べていた)。

残念ながら、ここでのスダーンのセリフが聞こえず。二人はかしこまって歌い始め、場内の笑いを取っていました。

さて、場面変わって暗殺に逡巡するセスト。そこに「暑くありませんか?」と思わず尋ねたくなるほど厚着で帽子を被り、顔を白塗りに頬だけ灰色に塗った(今年で10万何歳かのデーモン小暮閣下を思い出した)死神が登場。彼はクラリネットを本当に吹きつつうろうろとセストの周りを動く。そして、彼に自分のコート、帽子、手袋を着せていく。

二期会ではヴィッテリアが歌いながらしていたが、ハンブルクは私の記憶違いか?。


そしてティート暗殺場面。(チープな)ローマのあちこちから(チープな)火がシュボッシュボッっと音を立てて吹き上げ、白い煙が立ち込める中、便所で立小便?をしていた皇帝とその影武者達、その一人を煙に巻かれて訳も分からずに刺すセスト。


二期会では、ティート自身がセストの腕を取り、適当な一人を刺す。これも記憶違いか?


ここで第1幕終了。


休憩時間が終わり、席に戻ると、私の座ろうと思っていた1列目の二つの席はものの見事に先客がいた。うーむ、普段はこの席は非常に舞台が見やすいのになあと思っていると、平土間の座席の右後方に照明が当てられ、そこに皇帝陛下が。聴衆に手を振り、一旦座って周りのお客さんとおしゃべり。場内が暗くなると、席を立ち、満場の注目を浴びて舞台に向かうかと思ったら、やおら平土間席の一列目に入ってきた。   ベリオのオペラ「本当の話」の時のミルバのように一列目で歌うのかなと思ったら、得意げな顔で、本物のハンブルク州立歌劇場のチケットをかざしつつ、空いていた席に座っていたおじさんに向かって、「ここは余の席である。このようにチケットもある。(3列目の空席を指差して)汝はそこの空席に移るべし」と語りだしたのでした。おじさん驚愕、場内大爆笑。結局、そのおじさんは場内の大注目を浴びつつ、2列目の端っこに座り、それを見届けた皇帝陛下は満足そうに着席。音楽開始、ところが、音楽にお構いなく、皇帝を挟んだ前列のおばさんと恰幅よい町のお偉いさんという感じのおじさんが、本物のチケットなのかと尋ね、皇帝も「ほら本当に私のでしょう」とチケットを見せつつそれに鷹揚に応じ、以後しばらく談笑。誰もそれに注意できず。さすがの私もローマ皇帝の逆鱗に振れてコロシアムでライオンと戦う羽目には陥りたくなく、目も前の会話を「見聞きしなかったこと」にしてしまいました。因みにチケットには、ボールペンで「ティート」と殴り書きされていました。どこまでもチープ。にしてもお客さんをどかすこたあないでしょう、陛下。


二期会では、空席に誰も座らず。皇帝は、聴衆に対して、「日曜の午後、ようこそおいでくださった。コンヴィチュニー氏より舞台を見るように言われたので、私もここで見ます」という趣旨を述べて、着席。

第2幕
焼け出された風体のメッツマッヒャーが舞台上にとぼとぼと登場して、客席の笑いを取った後、指揮台に。指揮をし始めるも皇帝陛下はおしゃべり、さらに指揮や舞台上の歌手にいちゃもんをつける。恐縮する指揮者に歌手、これじゃあ暴君そのものですな、ネロですよ。


ティトの偉大さを讃える胸像の除幕式。黄金(ブロンズ)の胸像に花を捧げる民衆。それに応えて皇帝が歌い始めると、子供二人が、ティトだティトだと指を差して騒ぎ始める。歌が聞こえんぞ!という場内の非難を恐れて子供を黙らせる親達。

競技場で催し物をと(イタリア語で)問うブブリオに、「いーよ」と日本語で返す皇帝。その後、セストの無実を証明しろとばかりに歌の一部をrrrrrrrの音でブブリオを追い返す皇帝。

さらにブブリオに連れて行かれるアンニオの歌が途中までだったので、セルヴィーリアに歌わせようとする皇帝。場内に拍手を促し、プロンプターが出を教えて再開。その後、皇帝自ら聴衆に拍手喝さいを促し、舞台上では成功に気を良くしているセルヴィーリアの図。


公演チラシをもって指揮者おしのけ舞台に向って得意そうだったのもつかの間、セストとの対話と自己との対話の最中に倒れる陛下。あわてて医者が呼び出され、個人的にはあまり良い思いはしていなかったのですが、ベルリン・ドイツ歌劇場と違って、幸い陛下は新品の人工心臓をいただき、蘇ったのでした。しかし、なんと歌う言葉がおかしい、英語だのフランス語だので歌い始める始末。慌ててリモコンを操作してイタリア語で歌わせドイツ語で喋らせようと(多分)しておりました。


証拠がありましたと、先ほどやられたrrrrrrの音で皇帝に仕返しをするブブリオ(場内笑い)。彼が得意そうに見せたチラシは、多分パンフレット43ページのツェルターからゲーテに当てた手紙(ハンブルクも同じだったと思う)。舞台から楽団員の手を経て渡されたそれを見て愕然とする。指揮者を押しのけ、楽団員にチラシを渡して、歌い始める皇帝。楽団員がコレコレと舞台上に振るので、漸くそれを受け取ってまだ歌う皇帝。よし良しと頷く(偉そうな)楽団員。いきなり日本語で演説する皇帝。「人の本心は見えないからだ」とか何とか。

セストとの対話(イタリア語)の後、皇帝としての立場と本心との対話を(目が光る)胸像と行なう皇帝、その最中、心を替えて欲しいと歌う中で、自分で心臓を取り出して倒れてしまう。この心臓は少なくともデュトワ指揮N響の「囚われ人」で使われたハートの枕よりは凝っていた。
ここで、照明が落ち、劇場支配人が「お医者様はいませんか」と懐中電灯の光で場内を照らすと、二つ隣席のご老人がしゃきっと立ち上がり、「ここにいます」と舞台に向うも、「ところで出口はどこかいな」「舞台までは遠いからのう」と出て行く。再び劇場支配人が「看護婦さんはいませんか」というと舞台から看護婦が。先生早く早くとせかされて、「急に走ったもんだから私の方が心臓がバクナクしてしまったよ」とか、「救急車よりは速かっただろう」とか言いながら駆け寄り、緊急手術。ハンブルクのパンフレットの表紙にある銀色の心臓をペンチで組み込み、殆どお裁縫ののりで縫合する医者。ティトの在位は3年ほどだったので、この後の術後管理に失敗したのかねえ。その後胸を押して蘇生させる時の掛け声は何故かドイツ語、そして蘇った皇帝。続きを歌い始めると、それは日本語(字幕には「日本語チャンネル」)。慌ててリモコンボタンを押す医者、すると、今度は韓国語(字幕は「韓流チャンネル」)、再びボタンを押すとフランス語、さらにはドイツ語と変り、最後にようやくイタリア語に戻ったのでした。

ロボットのようにぎごち無い動きを伴って皇帝が退場。

白い幕が降りて、その前に椅子を抱え机を引っ張って出てくるセスト。アリアを歌いながら、机の上の小箱を開け、何かの陶製の人形(モーツァルト?)そしてモーツァルト・クーゲルの箱を出し、続いて自殺するための道具を出して試していく。まず、首吊りをしようとするも、自分で紐を持って椅子から飛び降りては意味がない。次は薬だが、水もろとも噴出してしまう、さらに拳銃を頭に当てるも不発。最後はナイフでリスト・カットを試みるが、切れない。そのまま場内の笑いを受けながら退場。


かわってセルヴィーリアの家。逡巡しつつ真実を告白しようとするヴィッテリア。その周りをバセット・ホルンを吹きながら歩き、彼女に黒い葬儀用のヴェールをかける死神。

再び舞台転換。頭に布を被せられ追い立てられて歩く囚人。その周りで威嚇している、というよりじゃれ付いているとしか見えない子ライオン。ヴィッテリアの告白を受けて、半分以上うんざりしながら、皆を許して忘れるといってトイレに引き篭る皇帝。ホッとして、かつ多分本当に疲れ果てて椅子に座るセスト、よってくるライオンにおびえるも、ライオンが頭を腿にもたれてくるので、頭をなでてモーツァルト・クーゲルをあげている。背景では、合唱団がトイレを横に揺らして歌い、その合間に扉を開けて歌う皇帝。

一旦幕が降りて拍手喝さい、と思ったら、やおら腕を振り下ろすスダーン、「あっそう?また同じことの繰り返し?」とばかりに序曲が始まり、またもや照明が、今度は客席側も含めて明滅、そして幕が開けると走って飛び出して来る歌手たち。ブブリオは通り過ぎてしまうし、アンニオとセルヴィーリアは皇帝のトイレに入ってしまう、そして皇帝が出てきて入ろうと扉を開けたら、いたしている最中の二人がごろんと転がり出てくる(幾らなんでも狭くないか?)。再び子ライオン二匹が轟音と共に出てきて、舞台中央に出てくると、歌手たちが整列して前に、そこに指揮者のスダーンも呼ばれて出てきて、挨拶。序曲も終了し、再度盛大な拍手でもって本当に終了。
(ここまで)

さて、日本人歌手とスダーンはどこまでこの楽しさを再現できるかなあ、期待と不安をもって


なんのなんの、期待以上に素晴らしい公演でありました。再演されればまた行きますよ。

2006.04.15 Sat » マタイ受難曲(初期稿)

どうも、という訳で所沢までBCJのマタイ受難曲を聴きに行きました。初期稿と銘打たれていましたが、私に分かった違いは、せいぜい冒頭曲のソプラノのコラールがオルガンで演奏されたことでして、これについては、普段聴くように歌って欲しかったなあと思います。

そのくらいバッハには疎いし、そもそもマタイを詳しく聞き込んでいる訳ではないし、他の演奏もそれほど聴いていないので比較しようがないのですが、(アーノンクール盤で予習したせいもありましょうが)清冽でしかしそっとやさしさも感じさせる演奏でした。演奏陣の中で特にいたく私が気に入ったのは、エヴァンゲリストのゲルト・チュルクでして、非常に声の表情が豊かで、雄弁(ただし劇的ということではない)でありました。また、ペーター・コーイのイエスは、意外に若々しい声でした(イエスというと1958年盤のリヒター盤や、ドイツのTVでみたラトル指揮ベルリンpo.でのクヴァストホフとかの重い声の印象が強かったので)。一方、アルト(カウンター・テナー)IIは、ちと声が一本調子で弱かったのが残念でした。

私は信仰も特定の宗教への思い入れも無いので、ある個人(義人)の死を巡るドラマとして聞いていましたが、それでも素晴らしいものは素晴らしいんだなと、プログラムに書かれていた武満の言葉のような感想を抱きつつ帰宅したのでした。



これから、Y.ヘラー(1944年生)のオペラ「巨匠とマルガリータ」でも聞く予定。ローマ総督ピラトも自分の名前がこんな形で後世に伝わるとは思ってもいなかっただろうなあ。

2006.04.15 Sat » 労多くして、益少なし

どうも、無事に母が帰国してホッとしているSt.Ivesです。マチュピチュ観光では高山病で入院する人もいたし、何便も真夜中のフライトを重ね、片道7時間(リマからナスカまで)のバスの旅にもかかわらず、けろっとして「2キロしか痩せなかった」、「太陽のピラミッド(ティオティワカン)は良かった」、「ナスカの軽飛行機は怖かったが、全部みれた」、「メキシコのパンダは上野と違ってこちらに向って座っているので良い」、「マチュピチュの遺跡は想像以上に凄かった」と疲れも見せずに延々と喋られて、こちらが疲れてしまいました。

さて、本日はNHKホールに行ってまいりました。

シャルル・デュトワ指揮NHK放送交響楽団
ペーテル・アンデルジェフスキ(pf)

ラヴェル:スペイン・ラプソディ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調kv.466
シマノフスキー:交響曲第4番
ラヴェル:ラ・ヴァルス

全体について言えば、超絶の名演ではなかったのですが、これくらい安定的に良い演奏が聴ければ良しとしましょう。

さて、注目はアンデルジェフスキのピアノ。一言で言って変(態)なモーツァルトで、帰りにタワーでCDを購入してしまいました。
デュトワ&N響がスタイリッシュに進む中、弱音への変質的なこだわりと微妙な揺らぎの連続で、聴き慣れた第1楽章のカデンツァも同じものとは思えないし、第3楽章のカデンツァは一体誰の?という感じ。かなり好き嫌いが分かれる演奏でしょうが、私はとっても好きです。

続く、シマノフスキの交響曲第4番、全編ピアノが活躍する協奏曲風のこの作品、実演ではこう聞こえるのか!ピアノはどこだ!無茶苦茶弾くのが大変そうに見えるのに、オケがマスクして殆ど聞こえんぞ!と鍵盤を猛烈に叩いているのに小太鼓他に負けているアンデルジェフスキの姿に涙しつつ(ウソ)、聞いておりました(一応2階のS席だったのになあ)。
シマノフスキは、私には捉えどころが無い作風だと思っていますけど、この曲は聴き慣れん人には輪をかけて意味不明だろうなあと思っていると、あにはからんや、ご老人の多い座席はちとざわついておりました。特に、関連付けが良く分からないブロックが次々と押し立てられていくような第1楽章は、困り果てた表情の人が多かったなあ。もっとも、オケは慣れん曲も一応聞こえる形にはしてくれましたし、第2楽章はアンデルジェフスキのピアノも良く聞こえ、シマノフスキの第3ソナタを含むリサイタルを希望している身には飢餓状態が若干和らぎました(これだけのために来日したのか?)。

ところで、アンデルジェフスキは第4番を暗譜で弾いておりました。多分レパートリーに取り入れているピアニストは、ポーランド人(彼はハンガリーとのハーフだそうですが)でも彼くらいでしょうが、ピアノがこれほど聞こえんのではねえ...。ドヴォルザーク以上に演奏されないだろうなあ。


明日は所沢にBCJのマタイ受難曲を聴きに行きます。イースターであります。

2006.04.08 Sat » 凄いもんだ

という訳で、ハーディング指揮東京po.のマーラーの「復活」@文京シビック・ホールとムーティ指揮オペラの森管弦楽団のヴェルディの「レクイエム」@トリフォニーに行ってまいりましたが、曲の好き嫌いに関係なく、後者の演奏にノック・アウトされました。


演奏中から、これは日本人のオケと合唱なのかね?と思わずにはいられない非常に集中度が高く、すみずみまでコントロールの行き届いた(そしてムーティの指揮にオケが俊敏に反応した)演奏でありまして、日本のオケとしては、デュトワ初登場時のN響やパーヴォ・ヤルヴィ指揮東響を上回る感銘度を受けたのでした。勿論、サバティーニ、フリットリ、グバノワ、ダルカンジェロの独唱陣も私には万全に聞こえました。女「声」が好きなこともありますが、後半(特にリベラ・メ)のソプラノのフリットリの(結構)派手なバックに負けない、哀切感、ある種の喜び、そして悲劇的なものがない交ぜになったような、ソプラノにしては低音の旋律にもかかわらずその美声を生かした、歌唱にはジーンと来まして、危うくヴェルディって良いかもと転ぶところでした(立って拍手してしまったしなあ)。



さて、振り返ってその前に聞いたハーディングの振るマーラー。私の好きなメゾであるカーネウスにミュンヘンでのゲシュヴィッツ伯爵令嬢(ルル)以来の再会ということで、楽しみに出かけまして、相変わらず素晴らしい彼女の声ともども終わった瞬間は大満足しました(ただ、第4楽章の最初の方で、カーネウスの声が上から聞こえたのは何故?)。

ロンドンで聴いたマーラーの10番(LPO、LSOの2回)、および4番の演奏からすると、ハーディングは極めて人工的で、息の浅い、さっさかさっさとフレーズを処理していくだけの演奏になるのかなあと思いきや、極めて劇的で熱く、ケレンミもある演奏で、傷は多かったものの(特にバンダはすかっていました)東京po.も大健闘。また、第5楽章の合唱は、当初は座らせており、テンポを極めてゆっくりとって、かつ弱音の柔らかい声であったのを、途中から立たせて強めの声で歌わせるという歌詞に即した対比を明確に打ち出しておりまして、合唱が大変そうでありました。

しかし、かなり良い演奏であったにもかかわらず、ムーティ指揮の「レクイエム」を聴いた後だと、とっても印象が薄くなってしまいましてねえ、何か勿体無いような気もします。

ともかく、ダブルヘッダーで疲れましたけど良い一日でありまして、帰りの電車の中で、2005-2006年シーズンのベスト・コンサートの暫定1位を、ブロムシュテット指揮、テツラフのVn、N響によるブラームスのVn協奏曲&第1交響曲から、本日のムーティ指揮のヴェルディの「レクイエム」に変更したのでした。


2006.04.08 Sat » ユダ・コード?

どうも、グリーグの弦楽四重奏曲第2番(CHILINGIRIAN SQ, hyperion CDA67117)を聴きながらのSt.Ivesです。

ニュースでは「ユダの福音書」とかいうものの解読がされたとか出ていまして、イースターの季節、映画「ダ・ヴィンチ・コード」が来月公開ということで、4月28日発売のナショナル・ジオグラフィックは結構売れるのではないでしょうか。私的には、どこぞの誰かがこれに基づく受難曲でも創らんかなあと期待しています。勿論H.リリングが委嘱してヘンスラーに自ら録音(笑)。しかし作曲してくれそうなのは、「冥王星」のマシューズくらいかも。



して「福音書」の内容は、フランスで出たとあるミステリー小説(書名を忘れてしまった)に似ているなあと思いました。あれは、原始キリスト教団が、イエスをワザと処刑させて、そこで奇跡が起きて救済されるはずだったのが、史実どおりというか当たり前に考えて当然そんなことは起きませんでした、という内容の「死海文書」を巡るものでありました。で、その原始キリスト教団(はっきり言ってカルト)が20世紀にも生き残っていて、その死海文書の内容が明らかにならないように暗躍する訳で、さらにその事件を追っていた青年が、まさにミイラ取りがミイラになるを地で行ってしまい、そのカルトに入ってしまうという話でした。そうだモーツァルトに頼んで、「ドン・ジョヴァンニ」と「魔笛」をあわせたような作品を書いてもらおう!

まあミステリーの話はともかくとして、「福音書」の内容が本当かどうかは分かりませんが(そんなことを言ったら4つの福音書だってそうであります)、最後に生き残ったものが権力を握って歴史をつくるということをあらためて認識させられるのでした。

歴史的文書といえば、昨日ようやく「ヒトラー・コード」を読み終えました。題名は便乗商法そのものですけど、詳細な注、解説、人名辞典も含めて中身は読み応えがありまして、行き当たりばったりのヒトラーの戦略や狂気、ナチス高官の腐敗振りがよく分かるものでした。でもロシアの公文書館に残っていたオリジナルの文書の書き手達が想定した読者はスターリンでして(ちゃんと読んだそうであります)、もの凄いものを感じてしまいますけどね。因みにヒトラーだからヴァーグナーばかり聞いていたのかと思ったら、ごく僅かな記述しかないのですが、オペレッタとか軽音楽を普段は好んでいたらしいです。


本日は講談社ブルーバックスの「プリオン説は本当か」を読了。「死の病原体プリオン」(草思社)を昔読んでいたので、それとの対比で読むと興味深いです。と同時に、例えばp.132~133に書かれているように、現在のBSE対策では、調べる場所が違う(脳組織ではなく、抹消リンパ組織こそ必要)、若い牛だから問題ない訳ではない(異常プリオンの蓄積は個体差が大きい)、何にしても全頭検査をやめるなり基準を緩める合理的理由は全く無いということでありました。さらに、プリオンではなく、未知のウィルス説だとすると危険部位の除去ではすまないようであります。

さて、1997年はノーベル賞にとって、経済学賞のみならず医学・生理学賞にとっても、恥ずべき年になるんでしょうかねえ。もっとも、それが分かる頃には、それを認識できない状態になっているかも、あー英国でハンバーグとか食べるんじゃなかった!と。



明日は、昼にハーディングの振る「復活」、夜にムーティの振る「レクイエム」です。順番が逆の方が落ち着きは良いのですけど、中々そうは行きません。




今HMVのサイトに行ったら、アムランがデュカスのピアノ・ソナタのCDを出すそうで、ライブでの熱い演奏が再現されていることを願うのですけど、ともかく楽しみ。

2006.04.01 Sat » ロンドン 食の歴史の物語

母がラ米14日間の旅に出かけ、がらんと静まり返った家で一人CDを聞いています。日程の殆どが移動に次ぐ移動、それも深夜早朝出発が多く、行く場所も標高差の開きが大きいです。さらにバスで片道7時間も揺られることもあるという、はっきり言ってメチャクチャな、私ならばお断りというツアーなのでした。

実際の旅は大変でも、本の中なら、かつ土地勘大有りということで、ロンドン再訪と白水社から出た「ロンドン 食の歴史の物語」(アネット・ホープ著)を読んでいました。

内容は、題名の通り、ロンドンにおける食べ物事情についての歴史ですが、中世から現代に至るまでを何人かの英国を代表する文豪達の作品や日記をもとにして進めています。目次はこんな感じ

第1章 ご馳走は白鳥の丸焼き
    チョーサー「カンタベリー物語」に描かれた中世

第2章 家庭菜園の時代
    シェイクスピアが「フォルスタッフ」に食べさせたもの

第3章 外食文化の反映
    二人の日記作家ピープスとイーヴリンが通ったクラブ

第4章 「英語辞書」と料理本
    ジョンソン博士の愛したロンドン

第5章 産業革命と近代化のかげで
    ディケンズ家の食卓

第6章 海亀のスープはお好き
    オスカー・ワイルドとカフェ・ロワイヤル

第7章 彼女愛した隠れ家レストラン
    ヴァージニア・ウルフと両大戦間のロンドン

第8章 変貌するロンドン食糧事情
    1939年から現在まで

何故か第8章だけ作家名が目次に出ていませんが、それは読んでのお楽しみ。もっとも、この文豪達の中にあの名前を出すのはちと気が咎めたのかなあとか思っています。ただ、映画にもなっているので、シェイクスピア並に有名でしょうけど。

ロンドンに棲んでいた頃は、どうにも美味しくない所が多いなあと思っていたのですが、この本を読むと非常に英国料理が美味しく見えてきて、言葉の魔術というのはこういうことなんだろうなあと、思いつつ良く良く考えると、ウルフの時代頃までに紹介されている食べ物の大方は、当時の上流階級やブルジョアの食べ物でありまして、今のロンドンだってお金さえ出せば非常に美味しいものはある、というのと同じ理屈でありました。

なお、巻末にはチョーサーの時代から、ウルフの時代までの様々なレシピも掲載されています。ここはいっちょチョーサーも食したであろう「カボッシュ・イン・ポタージュ」でも作って、alle(all)とかat nyght(at night)とか中世英語で知り合いにレターを出そうかな。





「カボッシュ・イン・ポタージュ」というのは、名前こそ仰々しいのですけど、塩・胡椒等で味付けしただけのキャベツ入りスープです。



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St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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