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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2006.11.27 Mon » 日生劇場での「女狐」

NHK教育で放映されたアーノンクール指揮ヴィーン・フィルハーモニカーのモーツァルトを見聞きしているうちに日がかわってしまい、もう寝ないといかん時間でありますが、少しだけ書きましょう。


行ってみて初めて日本語上演であったことに気づきました。しかし、それ程に違和感を感じないものでした。通例、ヤナーチェクのオペラに関しては、モラヴィア方言のチェコ語のリズムや抑揚が重要だと言わます。なので、私がそちらの方に精通していないので、違和感を感じなかったのかもしれません。まあROH(ガーディナー指揮、アップショウの女狐)の英語上演でも違和感を感じなかったしなあ。

もちろん、日本語だと若干間延びした感じに聞こえることは否めないし、たとえ日本語でも高音でビブラートを聞かせて歌われると意味が全く取れませんでした。これも、ENO<英語>でも同じことは感じたので、当方の耳の問題かもしれません。

演出は照明や小道具を上手く使って、シンプルで分かりやすく、適度にコミカルな好ましいものでありました(人によってはもっとコミカルさあるいは猥雑さが欲しいかと思うが、私はあの程度で十分だと思います)。ただ、最後に女狐が撃たれるシーンでハラシュタに向かっていくところは、奈落を利用するためだったろうが、気になりました。


指揮は広上、演奏は弦が薄いし音がちと汚いなあと思ったら、新日本フィルでした。演奏にはもうちょっと生き生きとしていたらと思う時もありましたけど、全体的には結構健闘。マイケル・ナイマンを思わせるミニマリスティックな部分の切れが甘く、叙情的な部分の方はより良く聞こえたのは、そこはチェコ音楽っぽくて新日po.も演奏し慣れているからかな?


歌手については、ハラシュタ役の折河が、役に似つかわしくない程美声でハッとした一方、森番役の泉は時々声がこもってしまう(通らない)のと張り上げ気味であったのが残念。

女狐役の中嶋の歌は、あまり有り余る生命力や自由の喜び、あるいは狡さを感じさせなかった(日本語で歌うことに伴って、そういった部分が減殺されてしまったのかな?)。そこらへんがもう一つ欲しいところであったが、可憐で美しい声で、求婚されるお嬢さんのシーンは中々に良かったのでした。


来週は、東響による「マクロプロス事件」。1年半ぶりのライヴなので、コンサート形式ではありますが、楽しみです。

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2006.11.22 Wed » 寝るか起きるか

本日はシュターツカペレ・ドレスデンのコンサートに当日券で行こうかと思ったが、仕事をしていて気がつくと間に合わない時間だったので諦める。明日のマチネに行こうかと思うが、安い席はまだあるだろうか?

帰りに新宿タワーに寄る。HMVのオンラインショップに大量に頼んであるのでとりあえず買うものは見当たらず、と思ったらOLYMPIAのクレーメルの弾くイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集が売り出されているのが目にとまる。こんな録音があたっとは知らなかった。

イザイは、現状ツェートマイアーのソナタ全集程度しか持っていない程に聴かない作曲家の一人なのだが、来月5日に朝日浜離宮ホールで戸田弥生のリサイタルに出かけることにしているので、ツェートマイアーともどもその予習用に聴こうかと購入。

イザイのこの作品集は、バッハの無伴奏やベートーヴェンの後期の作品集、それから20世紀の様々な作品同様に、私にとっては非常に気合を入れないと聞き通せない作品の一つである。上手く説明しがたいが、耳に心地良い、あるいは耳をそばだたせる旋律が溢れるとか、あるいは驚天動地の響きやカラフルな音が次々と繰り出され、お花畑かサンゴ礁を巡っているような気分のうちに曲が終わっていましたという訳にはいかず、一音一音(あるいは1フレーズ1フレーズ)に非常に集中していないと、私はどんな地点で何を聴いているのだろうかと途方にくれてしまう類の作品に感じられる。
つまり、仕事の後で聞くような作品ではなく、正直な話、演奏のせいではなく、当方が単に疲れ果ててしまってリサイタル途中で気絶(爆睡)してしまうのではないかと心配をしている。


気絶させる音楽で例を挙げたベートーヴェンの後期の作品の一つであるピアノ・ソナタ第32番を冒頭に持ってくるプログラムを引っさげてポゴレリチが来年早々に来日する。とはいえ、お気に入りの1曲である32番で気絶してしまうことはさすがに無く、、それよりも次に予定されている24番かその次のスクリャービンの2番のどこかで気絶するかも。因みに、プログラムは、リストの超絶から5番、8番、10番と来て、バラキレフのイスラメイで締めというもの。プログラムの順番がどうも逆のような気がするのはまさに気のせいだと自分に言い聞かせつつ、現在の彼の32番がどんなものか聞いてみたいので行く予定。もっとも、プラチナで17000円、S席で12000円というお値段にすこし怯んではいますけどね。

2006.11.19 Sun » 銀ブラ買い物記

宵も明け切れぬ朝から日本橋へ出かける。

三越本店のドイツ・フェアを見に行くが、メルクリンは無い。豚の血を固めたソーセージでも無いかと店から店へ後と探し回るうちに、クラクラしてきて諦める。1階に下りるとボージョレ・フェア。頭クラクラで非常に眠いのに食い意地は張っているので、3種ほど試飲し、ジュースのように薄いなあと思いつつ、その中でも比較的おいしい(刺激が少ない)ものを1本を購入してしまう。目に青葉、山不如帰、初鰹である(意味不明)。

銀座に出る。伊東屋でノートと来年のシステム手帳のリフィルを買う。毎年この季節になると悩む時がある、というのも欲しいメーカー(COOKDAY)が在庫切れの時があり、代替を探すため。大方のリフィルは土日欄が小さく、システム手帳をほぼプライヴェート用に使う私には困ったことである。今年は幸い希望以上のリフィルが見つかる。

銀座一丁目の北欧グッズ専門店「北欧の匠」が構えているビルの5階にあるメルクリン・ショップに寄る。メルクリン会員向けの2006年インサイダー・モデルをまだ注文していないという事実に今日になって気づかされる。今年の分は個人的にマストのモデルなので、大いに慌てる。結局線路(カーブ)12本のみ購入して店を出る。来年はTEE50周年なので大量に欲しいモデルが出そうである(すでに2007年のインサイダー・モデルとミストラルは購入予定に加えている)。しかし、欲しいモデルが数多く並んでいて、毎回衝動買いしてしまいそうである。


雨が強く降り出す。正直ボージョレーが重い、若干後悔する。

同じ通りにあるイゾラで昼食。初めての店なのでボんゴレ・ビアンコを頼んでみる。ソースの味と麺の湯で具合は良かった(私は芯が若干残るかな?という感じぐらいの固目が好き)が、アサリがおいしくないのに閉口。

ヤマハ銀座店に行く。ここも来年1月頭に閉鎖して建て替えだそうだ。銀座もあちこちでビルが建て直されている。全音のスクリャービンのピアノ・ソナタ集下巻を買おうと思ったら売り切れ。モーツァルトのレクイエムのモーンダ版(ラクリモサの後半をアーメン・フーガにしたもの)が売られていて、一瞬購入しようかと思うが、20000円近かい価格に怯んで見送る。ミサ曲ハ短調のレヴィン版を探すが、ホール(ベーレンライター)とランドン(オイレンブルク)のものしかない。現代物は特になし。アカデミアもそうだが、現代物はどこも在庫がない。直接買う方が安いし確実ということか。
結局、何も買わずヤマハを出る。支払い場に新書「スタンウェイ戦争」が積み上がっている。敵の敵は味方ということか?

時計を見ると午後2時を回っており、サントリー・ホールのインバル指揮、都響を諦める。もっとも、相当疲れて眠たかったので、「血の日曜日」でも眠りこけていただろうけど。久しぶりに11番を聞きたかった、アニヴァーサリーだし。

二軒並びのモンブランに行く。昨年は見送ったが、今年の作家シリーズの万年筆を買う。没後65年のヴァージニア・ウルフが今年のテーマ。造形的にも美しいだけでなく、軽いし使いやすそうなので、何色のインクを入れようかと考える。
ペン先をEFにしようかと思ったが、店頭で試すとFとそう違わない、さらにどちらもイタリアの万年筆メーカーのAURORAのMよりも太い。店員さんが比較のために私が取り出してAURORAの80周年記念モデルを珍しそうに見て手にとる。店員さん曰く、モンブランに入社するまで、万年筆メーカーが世界にこれだけあり、さらにこれほど多くの種類があることやコレクターがいるとは知らなかったそうである。私はコレクターではなく、使うために買っていて、結果的に使わない物が幾つかあるだけなのだが(除くモンブラン「ヘミングウェイ」)。


帰宅して直ぐ寝る。



2006.11.14 Tue » 「いやはや」は、お前だ!

本日から通勤のお供は、メッツマッヒャー指揮のハルトマン交響曲全集(EMI)。1枚ずつ購入したので、他のカップリング曲も合わせてiPodに格納しており、まずは交響曲第1番の巻からなのですが、

マルティヌー:リディチ村の思い出

で始まり。お次に

ノーノ:生命と愛の歌

と来て、その後に

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り

まで聴き進めると、分かっていたとはいえ、やっぱりどう考えても朝の通勤の音楽ではないなあ、家に帰って布団を被りたくなってきたなあ、仕事前に「ワルシャワ」を聞けるのはゴルゴ13くらいだよ(どうやら「ワルシャワ」が好きらしい)、とユダヤ人達の悲痛な合唱?が終わるや、ハルトマンを聞かずに曲目変更準備。ふと、お隣を見ると、やや!見たことのある絵、「のだめ」、それも学園祭のシーンとは昨日の放送分でないですか。では、ラプソディー・イン・ブルーかラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でもと思ったのですが、いずれもiPod未格納。


帰宅して毎日新聞を見ると、学芸欄に「プラハのハルキ」の記事があると思うと右隣にまたもや「のだめ」が。書いているのは渡辺裕 東京大学大学院教授(美学芸術学)。

お題は「近代的芸術家像の商品価値」「”のだめ”に見られる『本物』性」というもので、アドルノかベンヤミンが半世紀以上も前に言ったことを焼き直し、そこで出来たお焦げを水に溶かしたような代物でありました。

紙面の1/4ページ近く占める文章を乱暴に要約すれば、「のだめ」は19世紀的な、伝統的な芸術家像の形を変えた再生産機械である。「内面からあふれ出てこそ『本物』の音楽」などというイデオロギーがそもそも問題だ。また、芸術家だってれっきとした「社会人」なのだし、現実とかけ離れた存在ではない。100%内面からあふれ出る「本物」の音楽などあるはずもない。音楽市場とはそれが成り立つような市場だということを、批評や伝記、映画、肖像画が作り上げてきた。「のだめ」もそうしたものの一つである。

なお、最後をこう締めくくっております

「このドラマをみて、自分が『本物の芸術家』たる証として、部屋を散らかしたり、楽譜を見ずに弾いたりする音楽大学の学生がたくさん出てくるかも...。いやはや」


これで東大の美学の教授とはねえ...。いやはや。


さて、「プラハのハルキ」の左隣は、「発明の眼差し」と題してとある経営コンサルタントの寄稿。「タイム」で「ユー・チューブ」が今年最大の発明と取り上げられたことに驚きを示しつつ、こう締めくくっています。

「仕事柄良く『日本から○○のような新しいものが生まれないのはなぜだと思うか』と問われる。新しい発明には、既存の社会の枠組みを脅かす要素が含まれることが多い。『そういう新しさを若者たちが発明したとき、大人たちがおっちょこちょいにも一緒になって面白がり、奨励できるかどうか。そういう空気の質が、日米ではぜんぜん違うんですよ』と僕はいつも答えるのだ」。


本日の毎日新聞の学芸欄の紙面構成を考えた人は優秀ですなあ。

2006.11.13 Mon » 来年の秋から再来年にかけて

に一体どれくらいお金があれば良いのだろうかと悩みつつパンフを眺めています。大所だけでも挙げてみると

07年
9月 チューリヒ歌劇場    薔薇の騎士
10月 ベルリン州立歌劇場   ドン・ジョヴァンニ、トリスタンとイゾルデ、モーゼとアロン
11月 ドレスデン州立歌劇場  薔薇の騎士、タンホイザー、サロメ
08年
1月 マリンスキー歌劇場 イーゴリ公、ホヴァンシチナ(ショスタコ版)、「三つのオレンジへの恋」

演目だけでなく、歌手も良いしねえ(デノケやカサロヴァ、マイアーにシュテンメ、シュナウトetc.)。向こうに行くことが時間的に難しいならば、こちらに来る機会を捕まえないと。ただ、もうちと季節的にずらして来て欲しかったなあ。

こうなると新国立劇場はどうするのかな?下手な泰西名曲オペラを持ってきても太刀打ちできないことは火を見るより明らかだし、五十嵐路線への復帰など打ち出した日には、ヘソで茶が沸き、閑古鳥は鳴く、ということになりましょうなあ(大幅値下げすれば別だけど)。

かといって、上記団体の公演日にどうせ客が入らないならばと、ヤナーチェク、ブゾーニ、シュレーカー、ヒンデミット、ブリテン、アイネム、B.A.ツィンマーマン、ノーノ、ヘンツェ、シュニトケ、W.リーム、デュサパンなど日本では本格上演にまで至らない20世紀オペラ作曲家シリーズなんかをぶち当てられた日には、私は天を仰いで泣いてしまいますけどね(「ルル」ですったもんだのあの劇場ならば絶対ないと思うけど)。

あっ、「ダフネ」のチケットをまだ買っていなかった。


リゲティの「グラン・マカブル」の日本初演を首を長くして待っているSt.Ivesでした。日本にはゲポポを歌える(?)歌手が2人もいるんだけどねえ。

2006.11.08 Wed » モーゼとアロン@シュトゥットガルト

がNAXOSから登場。先週末に入手したので帰宅して聴いています。指揮者がダニエル・カールロータ・ツァグロゼクではなく、見知らぬ人(ローラント・クルティッヒ)になっていました。リングの録音はツァグロゼクだったのに、何故でしょうかね?


さて、このオペラはCDで聴くと面白いのですが、視覚が入ると意外と詰まらない。シュトゥットガルトでの公演も、夏の暑い日で大変だったこともありましょうが、どうにも面白くないなあと思って見ていたきおくがあります。このCDを聴き始めると非常に面白い演奏。で、当時の記録を掘り起こしてみるとこんな感じ(確かHPではアップしていなかったと思います)。

(ここから)

2003年7月12日シュトゥットガルト歌劇場

シェーンベルクの「モーゼとアロン」は好きなオペラの一つだが、初めて見た実演は正直詰まらんかった。普段聞き慣れているブーレーズ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウより、オーケストラの音が軋んでいた(たいした問題ではない)。ただ、意外にオケの音量が小さい(絞られている)。

歌手は、聞きなれている演奏でもアロンを歌っているクリス・メリットは、もともとの作品でもモーゼと対照を浮き上がらせるべく歌唱的に書かれているが、本日の公演はCDよりもさらに伸び伸びと「歌って」いた。第2幕の最後は、演技も加わって、モーゼの負けをより印象深く思わせる確信に満ちた歌を披露してくれた。

モーゼは、パッと見はモートン・フェルドマンが歌っているかのような髪型に眼鏡、背広のコスチュームで、その「歌」は、楽譜上で指定されているシュプレッヒ・シュテンメというより、単に語っているに近い状態であった。もっとも非常に聞き取り易い深深とした声のドイツ語であり、まあこれはこれで良いと思って聴く。

他の歌手は、合唱団から抜擢されていて、ちと独唱者としては弱かった。ただ、このオペラは事実上モーゼとアロンの対話に合唱団が加わるだけなので、演奏上の大きな傷とまでは感じられない。

して、何がつまらなかったのかというと、演出であった。場所をパレスチナかどこかのユダヤ人の評議会の議場に置き換えたアイデアは良かったが、はて、第2幕の黄金の子牛はどうするんだ?と思ったら、アロンの見せる「シンボル」は「映画」で議場に陣取る人々(評議委員)に見せるという趣向であった。映写機の光は聴取の方に向けられており、当然何も映し出されていない。それを見るイスラエルの民は時々「オー」とか何とか行って少し体を横に動かして驚きを示す程度で動きが無い。オケはそれまでの音量が基礎にあるので、そこだけ管弦楽曲だからといって前にしゃしゃり出てくる訳ではないので、聞いていて欲求不満が高まる。最後の最後でフリーセックス(トランス)状態に陥るのも「何で?」としか思えない演出であった。

実演だと目の要素が大きくなるので、CDで音だけとは聞き方が多少違うのかも知れないが、おかしいなこんな詰まらん曲じゃなかったはずなのに、と思いつつ劇場を後にした。

(ここまで)


見えるものはいかんということをシェーンベルクはこの作品を通じて体現したのかな?と思いつつこれから第2幕を聴こうかと思います。

2006.11.07 Tue » BBC3の初歩的ミス?

BBC3は9月にエジンバラ音楽祭の模様を何夜にもわたって放送していました。メインはマッケラス指揮のベートーヴェンの交響曲全曲と様々な指揮者によるブルックナーの交響曲を順番どおり組み合わせていくもので、最終日は(未聴ですが)両者の9番というとんでもな物組み合わせでありました。


さて、そんな組み合わせの5番のエア・チェックを聞き始めたのですが、何故かベートーヴェンの5番の冒頭が欠落して録音されており、がっかり(録音時刻指定ミスか、BBCマガジンの開始時刻案内が間違っていたのか?)。そしてメッツマッヒャーのインタビューに続き、彼の指揮、ロッテルダムpo.の演奏によるブルックナーの交響曲第5番を送りますとアナウンサーが告知すると、いきなりフル・オーケストラの強奏が始まりまして、はて新しい版かな?と思うわけはなく、第1楽章第15小節から放送していたのでした。あの神秘的な序奏なしに金管の咆哮から始めるとは、一体全体どうしたことなんだろうかと思いつつ、聴いてしまいました。


第4楽章終了後に5番楽章冒頭14小節が欠けていたことへの言及があるかと思ったのでしたが、全くありませんでした。時間が押していたとは思えませんし、だったらメッツマッヒャーのインタビューか、その前に延々と流していたブルックナーの生涯だかなんだかの話を切れば良い訳でして、第2楽章冒頭あるいは第4楽章冒頭の弱音ぶりから類推するに、演奏がまだ始まっていないと勘違いした曲を良く知らないエンジニアが、バッサリと切ってしまったという単純ミスでしょう。しかし、全く謝罪や言及をしないのはさすが大英帝国の放送局であります。NHKFMがこんな放送をしたら、演奏内容はともかく、日本のブルオタの抗議が殺到して、演奏分の終了後、謝罪と再放送の約束までさせられていたでしょう。


さて、メッツマッヒャーの解釈ですが、様々なモチーフ(切れ切れの対旋律も含めて)をそれぞれかなり強調させ、響きを分解して耳に届けようと試みています。全体に速いテンポを採用していますが、弾むようなリズム感は感じられません。一方で、リズムの取り方や間合いに妙なひっかかりが時たま聞かれ、流れが堰き止められます(特にゆっくりとした部分において)。さらに録音のせいもありましょうが、金管の響きがペターと安っぽく、さらに弦も薄いです。なお、金管はよく音をはずしていて、ちと興覚めでありました。全体としては、あまり感心できるものではありませんでした。メッツマッヒャーなので期待していたのですけどねえ。

なお、私の好き演奏は、アバド指揮VPO(DG)とフルトヴェングラー指揮VPO(EMI)であることを付け加えておきます。

2006.11.05 Sun » 遍歴騎士

まず上野にダリ展を見に行く。回顧展とか生誕100年の割には代表作が少なかったなあ。まあフジテレビだからこんなものか。

なお、平日がお勧めという宣伝は本当だと思います。入場までの待ち時間45分、さらに中は餃子を茹でるような混雑で人の頭を見に行くような感じでありました。

さて、パリ・シャトレ座プロジェクト、ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンによるラモーのオペラ「遍歴騎士」をオーチャードに見に行きまして、非常に楽しみました。近現代オペラや幾つか見たヘンデルのオペラとも違い、筋らしい筋がなく、間奏曲というには長く変転極まる音楽の間もずーとダンスの連続、さらに演出によって歌の間もダンスというものでありました。そして様々な映像とカラフルな舞台衣装、それにダンサーたちのヌードも舞台を華やかに(かつ笑いも含めて)盛り立てていました。ピオーは病気のために代役が立っていましたが、良く知らんのでそんなものかなと私は楽しんでおりました(臨席のおばさま達は残念がっていましたが)。

それにしても歌手と合唱団のダンスは、プロと比較すると切れや止め、動きの滑らかさで叶わないにしても、きちんと様になっておりました。最初ダンスの人が多いなあと思って見ていたら、いきなり歌いだしたので、合唱団だったのかと驚きました。プログラム・ノートによると3ヶ月訓練したと書かれていまして、こりゃ簡単には別のオペラ・ハウスで再演はできません。


これから百万ドル・トリオによる「大公」を聞いてから寝ます。文庫化されたばかりだし、カフカ賞の授賞式にも出かけたところだしね。
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St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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