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どうも、毎日モーツァルト全集のSt.Ivesです。
その合間に、没後160年と200年のお二人のレクイエムを久しぶりに聞いてみました、一人はアイブラー(1765-1846)、もう一人はミヒャエル・ハイドン(1737-1806)。後者はパパ・ハイドンの弟にしてモーツァルト父子の同僚。後者はモーツァルトの信頼した弟子。 前者のレクイエムはモーツァルトのそれへの影響があったと言われており、聴くとなるほどふむふむという感じ。トランペットをはじめとした金管とティンパニが大活躍しています。 後者は、依然どこかで書いたとおりモーツァルトのレクイエムが透けて見える作風。このアイブラーがレクイエム作曲をハプスブルクの皇后から依頼された1803年、この年はジュスマイアーがなくなった年でもありますが、ミヒャエル・ハイドンも同一人物に昔作った自身のレクイエムに欠けている章を作曲するよう依頼されているのでした(結局年をとり過ぎていて完成せず)。なお、弟ハイドンのレクイエムは、1809年に亡くなった兄ハイドンの葬儀でも演奏されたそうです。 さて、多分1809年パパ・ハイドンの葬儀にも出て、モーツァルトよりもジュスマイアーよりも弟ハイドンよりも長生きしたアイブラーは、1824年サリエリの後を襲ってウィーン宮廷音楽界の頂点に立つのですが、1833年指揮中に卒中に襲われて音楽界から引退。その際に振っていたのが、遥か昔、コンスタンツェの依頼を最終的に断ったモーツァルトのレクイエムでありました。どの部分だったのでしょかねえ、ラクリモザかな? 因みに、音楽之友社版のモーツァルトのレクイエムの楽譜はベーレンライター版の許可版ですが、発行日を見ると第1刷の日付が1991年12月5日でありました。わざわざこの日に設定するとは音楽之友社もしゃれっ気があります。 大晦日には何を聞いて一年を締めくくろうか考慮中のSt.Ivesでした。ヒンデミットの歌劇「世界の調和」(wergo)にするかな。
ベーレンライター版のモーツァルト全集が、PDFで読み込む際に斜めになったままのページがあるとはいえ、ダウンロードできるので、ここんところせっせとダウンロードしています。
ただ、セキュリティ・ソフトが悪さをして読み込ませるまでが結構面倒かつ失敗も多い上に、曲によってはファイルがかなり細かく分けられていて、作業時間がかなりかかる。交響曲や弦楽四重奏曲は1曲まるまる1ファイルが多いので楽だけれども、ピアノ協奏曲やミサ曲は楽章ごと。さらにオペラはページ数が多い上に非常に細分化されており、ダウンロードは中々進まず。 主要曲器楽曲やミサ曲ハ短調までは入手したけれども、オペラは「ドン・ジョヴァンニ」1曲のみ。「フィガロ」、「コジ」、「魔笛」までやる気が今のところ出てこない。まあ、ほぼ無料なんで文句は言えないんだけどねえ。 さて、太っ腹なベーレンライターのおかげで、昨日行ったヤマハのバーゲンでも、モーツァルト関係の楽譜はほぼ無視できました(オイレンブルク版のミサ曲ハ短調Kv.427は迷った末に買わず)。当初の目的であった海外に注文したのに全く来る気配の無いブーレーズのソナタ第2番、エルガーのヴァイオリン協奏曲、ディーリアスの「人生のミサ」、ギーレン編曲のベートーヴェン「大フーガ」は見当たらず。長年購入しようか悩んでいるメシアンの「鳥のカタログ」第7巻は今回も悩んだ末に見送って、結局、解説付きのヴェーベルンの変奏曲op.27とデュカ(ス)の「遥かに聞こえる牧神の嘆き」そしてディーリアスのヴァイオリン協奏曲、ムソルグスキーの「展覧会の絵」(原典版)、R.シュトラウスの「英雄の生涯」、サン・サーンスの「オルガン交響曲」、ストラヴィンスキー「夜鶯の歌」(作曲家自身によるソロ・ピアノ版)を購入。 本日BBCミュージック(ゲルギエフが表紙を飾っています)を入手。付録CDは。ミュラロがT.フィッシャー指揮のBBCウェールズ響と協演したメシアンの「トゥ−ランガリーラ交響曲」。中身では、ドーン・アップショウの癌の記事がありました。初期段階とはいえ心配であります、無事に復帰することを願っています(なお、サーリアホの新作オペラの出演をはじめ12月、1月はすべてキャンセル)。
どうも、色々とどたばたしていて、ずーっとサボっていました。
と言うわけでカンブルランと読売日本交響楽団のコンサート まずは9日。若干書いていますけどモーツァルトのプラハが素晴らしかった、序奏から主部への適切なテンポで滑らかに移行する様、小編成でフレーズやテンポをキリリと引き締め、生き生きとさせていながらも、音にはふくよかさを残していて、幸せな時間でありました。録音が出たら欲しいところです。 23番のコンチェルトは、ミュラロの羽毛のように軽いタッチ、そして転がっていく玉がシュッと消えていくような音がモーツァルト向きかには色々意見がありましょうが、中々に良かったと思います。彼の音と比較すると、オケの音はやはり重い感じでした。ちょっと中休み的な感も。 ドビュッシーの「海」は、サマフェスで聞いて以来ですけど、同じ曲とは思えないほどカラフルで様々な表情を聞かせてくれました。点描的な色彩で、ホールに音の粒が飛び散って満たされていくような感じと言えばよいのでしょうかね。テンポをかなり揺らし、ダイナミックレンジも大きく取って、しかし明晰な演奏でした。 15日のトゥーランガリーラは、普段聞き慣れているナガノ指揮BPOの音に比べてちと重く機動性に欠けているのが最初のうちは気になりましたけど、次第に興にのって楽しめました。また、カンブルランがかなりテンポを揺らすので、オケに時々乱れが生じ、それをカンブルランが一生懸命立て直す様が面白かったです。特に第5曲の中頃では、どう聴いてもいくつかの楽器が落ちていて、混乱気味でした。とはいえ、終わってみると、見て聴いて楽しく、大いに盛り上がった聴き応えのある演奏で、満足しました。満足とは別に、驚いたのはピアノのミュラロでして──9日の23番を聞いて「音がホールに届くかな」というのは杞憂でありまして──、さらりと軽やかに、しかし良く通る音で弾いていました。機能的とも官能的とも違う、しかし曲想やオケとマッチしている、不思議なピアノでありました。 カンブルランは忙しいから中々来日できないでしょうけど、また呼んで欲しいものです。 こんなところでしょうか。 明日は、「敬愛なるベートーヴェン」を見に行こうかと思っています、その季節にもなりましたからねえ。
どうも、久しぶりにダブル・ヘッダーをしたSt.Ivesです。
今日はツァグロゼーク指揮N響とカンブルラン指揮読売日響に行く。本日くらいの演奏が常日頃聞けるならば、演奏曲目にもよりけりだけど、コンサートに関しては向こうに行かなくても良いかもとちょっと思った、ベルリンpo.とヴィーンpo.とドレスデン・シュターツカペレは別だけど。 明日にでも感想を書こうということで、おやすみなさい。
本日 新国立劇場に「フィデリオ」を観に行く。
指揮 コルネリウス・マイスター 演奏 東京フィルハーモニー交響楽団 演出 マルコ・アルトゥーロ・マレッリ レオノーレ=フィデリオ: エヴァ・ヨナンソン フロレスタン: ステファン・グールド ドン・ピツァロ: ハルトムート・ヴェルカー ロッコ: 長谷川顯 マルツェリーネ: 中村恵理 ヤッキーノ: 樋口達哉 ドン・フェルナンド: 大島幾雄 出番は少なかったが、フロレスタン役のグールドは、声の輝かしさといい張りといい実に素晴らしく、これを聴けただけでも十分来た甲斐があったという感じ。というわけで全体の出来にはかなり満足。 大満足に至らなかったのは、これに対する主役レオノーレ=フィデリオ役のエヴァ・ヨハンソンは、声が少しきつく感じ、平板になりがちだったため。役的にも、実際に舞台で歌うのはきつい音の連続なんだろうとは思うが(ドレスデンのヘルツィウスはもっと声が硬くて絶叫調で辟易した記憶があるし、録音物で聞くのも似たような感じの歌が多いけれども)、それにしても少し残念。ただし、声は良く通り、全体を通してまずは満足出来るものであった。 ロッコ役の長谷川は、第1幕途中までは お金のアリアでも聴かれたが、入りの音が若干低くなったりすることあった。ただし、第1幕後半からはそうした部分が聞かれなくなった。結構堂々とした感じの良いロッコの歌を聞かせてくれた。 マルツェリーナ役の長谷川は、若干声質が硬く感じたけれども、オケとの音程もテンポもぴたりと合い、この暗いオペラに十分な華を与えていたと思う。 合唱は、オケのリズム感やテンポ感に乗り遅れ気味(あるいは指揮者が先走り過ぎか?)でずれていたところもあったが(特に最後があまりに目立ちすぎていた)、それ以上の不満はなし。 オーケストラはちと冴えない感じであった。昨日の東響の丁寧なつくりを聞いた後もあって、若干雑に感じた。これは、速め速めのテンポの指揮者のせいか?実際、指揮者の棒には序曲から(分かりきっているとは言え)大団円に向かってわくわくさせるところがなく、「ドン・ジョヴァンニ」からの剽窃かと思わせるドン・ピツァロの歌を支える凄み(切迫感あるいは重さ)も無かった。演出に大分助けられていたのではないかと思われる。 その演出は、基本的には良い演出であった。特に第1幕のマルツェリーネとヤッキーノのある意味で他愛の無い掛け合いが、非常に恐ろしい状況下で行われていることをあからさまにしていた点は個人的には高く評価している。彼女たちはそれが日常化してしまいそのあたりの感覚が磨耗してしまったのか、見て見ぬ振りをするのを習いになってしまったのだろうか(秘密は知らぬに限る)。 ただ、2点だけ違和感を感じた。一つは第1幕囚人の合唱シーンでの太極拳を思わせる動きや駆け足での退場。もう一つは、最終場面での花嫁と花婿の大群。前者はそれまでの流れの中ではありえない動きだったのに対して。後者は、意図は分かるが、演じられている場所と結びつかない唐突さに対して。それ以外は見ていて納得の行くものであった。 これからダラピッコラのオペラ「夜間飛行」と「囚われ人」(フランクフルト州立歌劇場公演のエア・チェック)を聴いて寝る。
本日は、サントリーホールにヤナーチェクの「マクロプロス事件」を聴きに行った。
指揮 飯森範親 演奏 東京交響楽団 演出 マルティン・オタヴァ エミリア・マルティ(エリナ・マクロプロス) イヴォナ・シュクヴァロヴァー アルベルト・グレゴル ヤロミール・ノヴォトニー ヤロスラフ・プルス イジー・クビーク ヤネク・プルス 経種廉彦 ハウク 伊達英二 コレナティ ヤン・フラディーク ヴィーテク ズデネク・シュムカージ クリスタ モニカ・ブリフトヴァー 掃除婦・小間使い 押見朋子 機械係 志村文彦 合唱 東響コーラス 全体的にはそれなりに満足。ただし、ホール上演は問題が多いことをあらためて感じる。 第1幕は歌手が声を押さえ気味であり、フル・オーケストラの音量とのバランスが悪い。エミリア・マルティ役をはじめ何を歌っているのかさっぱり分からないという状況 第2幕に入り、歌手が徐々に声が出てきたような感じを受ける。ハウク役の声は通る。こちらの気分の問題かもしれないが、オーケストラも歌手が歌う際の音量が絞られているように思われた。ただヤロスラフ・プルス役の声が通らない。 第3幕に入り、エリナ・マクロプロスとしてようやくその声がオケを突き抜けて聞こえて、ハッとする。 総じて歌手にはもう少し頑張って欲しい気がしたが、フル編成のオケの後方からでは、声を張り上げないでもしない限りマスクされてしまうのだろう。オペラ・ハウスでちゃんと観たいものだ。 オーケストラは丁寧で整理された演奏であった。第3幕で金管がすこしばかりこけていたが、大した傷ではない。ただ、先週の「女狐」での演奏でも感じたが、数は対して聞いていない欧州の劇場での経験や、マッケラスの演奏と比べると、どこか彼らと日本のオケのヤナーチェクの響きとは違う。どっちが良いとか悪いとかではないが、何だろうかと気になる。 演出は小道具とスクリーン(字幕を兼用)を用いてシンプルな物に仕立てていた。マクロプロス役があれほど巨体では、さらにホールと言う条件ではあれで十分であろう(ホール内で安全に火を使えないとあっては、最後のシーンはああするしかないだろうし)。 明日は「フィデリオ」を観に新国立劇場に行く予定。観るのは、ドレスデンでのペンデレツキ「ルドンの悪魔」からの差し替え以来3年ぶりか?
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