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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2007.02.27 Tue » うーむ、困った

3月2日に休日出勤の代休をとって鴻上尚史脚本・演出の「僕たちの好きだった革命」@シアター・アプルに行く予定だったのが、急な仕事で代休が無理になってしまった。一方で、明日から2日間出張でヤフオクに出す暇も無いし(発送が3月1日では、着くのは3月2日になるだろうし)。非常に手痛いのであった。

一応、希望者がいれば3500円でお譲りします。もっとも、受け取りが3月2日の日中になる可能性がありますけど。

ではまた。
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2007.02.26 Mon » 新国立劇場 「さまよえるオランダ人」初日

2月25日 午後2時開演 新国立劇場

ヴァーグナー:さまよえるオランダ人

ダーラント:松位 浩
ゼンタ:アニヤ・カンペ
エリック:エンドリック・ヴォトリッヒ
マリー:竹本節子
舵手:高橋 淳
オランダ人:ユハ・ユーシタロ

指揮:ミヒャエル・ボーダー
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立歌劇場合唱団

演出:マティアス・フォン・シュテークマン
美術:梶尾幸男
衣装:ひびのこづえ
照明:磯野 睦


というわけで(何が?)、「さまよえるオランダ人」@新国立劇場の初日に行ってきました。
当初は3月4日にでもと思ってBOXオフィスまでチケットを買いにいったら、当日券で前の方(1階2列目)があったので予定変更。
歌手はいずれも良い出来でありました。またオケも合唱もがんばっており(オケは楽器がソロで奏するところはとちょっとヒヤッとしましたけど)、非常に満足しました。

歌手では、オランダ人役のユハ・ウーシタロとゼンタ役のアニヤ・カンペがまず挙げられます。出だしが少し不安定だったカンペは、「ゼンタのバラード」に至る頃には復調しており、暗くおどろおどろしいあの歌も絶好調、さらにその後のオランダ人との二重唱は、オランダ人のウーシタロ、オケともども瞠目する歌いっぷりでした。パワー、切れ、安定感は最後まで維持しており、プロフィアルにあるジークリンデも聴いてみたいと思いました。

その相方のオランダ人役のウーシタロ。私は、2003年7月5日にフィンランドのサヴォンリンナ音楽祭における「オランダ人」の題名役で聞いて以来でしたが、其の時の感想を記録から掘り起こすと、

「オランダ人のUuusitaloも、苦悩に満ちた低く、しかしはっきり聞こえる重い声の『語り』で、終わると同時に場内大喝采。ぎごち無く硬い動きと、本当に今度こそ救済されるのだろうかという疑念をはらみつつ歌う様は、よくよく考えれば、単なる彼の大勘違いで悲劇になってしまった話にもかかわらず、最後のシーンでさまよえるオランダ人の絶望という演劇的なもっともらしさを十分に与えるものだった」

というものでしたが、記憶にあるその歌より遥かに出来は良かったです。出だしからフルパワー?と思わせる力強い声、演技、雰囲気を含めて大満足。

準主役の二人、エリックとダーラントも非常に良かったです。まずはエリックのヴォトリッヒ、2004年4月11日のゼンパーで大感動した「ヴァルキューレ」(指揮:シュナイダー、演出:デッカー)でウルマーナ(ジークリンデ)やヘルツリヒ(ブリュンヒルデ)を相手に素晴らしいジークムントを歌った御人であります、素晴らしくないわけが無い。たったこれだけしか歌わんのか、というのだけが非常に残念。

そして、ダーラントの松位 浩。正直に言って、こんなに歌えて、声が通って、演技ができる日本人バスがいるとは知りませんでした。オランダ人、ゼンタとの三重唱でも二人を邪魔しないようにしつつ、十分伍して聞かせてくれますし、嫌らしくない程度に俗物ぶりを示す演技も良い。素晴らしい。今後は注意しておきましょう。

指揮のボーダー。今まで数回生で聞いた感じでは一番印象深かったのは、2004年4月24日のミュンヘンでの「ルル」(3幕版)。かなり柔らかい叙情的な指揮ぶりであったのが印象的でした(演出と美術が相当荒んでいたので、余計に印象的でありました)。2005年6月ゼンパーで「薔薇の騎士」も柔らかな、クライバーの演奏に慣れているとちと物足りない感じでありましたが、本日はあおるあおる、でとてもスリリングで楽しい演奏。でもオケは崩壊しませんでした、立派。一方、あのテンポでは合わせられんよ合唱は、という場面もある中、合唱団は大健闘。例えば後半の宴の場面、幽霊船の乗組員たちが答礼(?)する場面になるやそのテンポは倍速?と思える程に速くなり、振り間違いではないかと思うほどで、合唱団も何とか声がバラバラに崩壊する寸前でまとまっていました。その切迫感も含めて、声がスピーカー(?)を通じて場内を満たすように響き渡るので演出的には非常に効果的。重心も適度に重めで、東京交響楽団と新国合唱団は立派でありました。


なお演出は、上記の部分は結構「ホー」と感心しましたが、他は余計なことはせず、特段の解釈も施さず、邪魔をしない演出でした。まあ、オランダ人はあまり変な解釈をしない方が良い、あるいは難しいと思います。ただ、私の席からオランダ人の肖像画が見えなかったのはちと不満というか気になりました(真ん中より下手側の座席に座らない限り見えないと思われます)。注目の最後のシーンは、まだ見ていない人もいるでしょうから種明かしはしませんが、光は奥から十字で示した方が良かったのではないでしょうか、そっちの方が神の恩寵という感じもしますし、ってそれは「ひばり」を見た後だからでしょうかねえ。


というわけで、初日を見る限りお勧めです。


もう一度行こうかと思ったら、新国から6月「バラ」のチケットが2日分届いていて、もう一度行ったら支払い計画にかなり支障をきたすことに思い至ったSt.Ivesでした。

2007.02.24 Sat » 「ひばり」再び

というわけで会社をさっさと脱出して再度見に行きました、「ひばり」を。席は前回とほぼ同じB列のセンター。

楽日が28日ということですが、やはり長時間の劇をほぼ連日ということで、お疲れ感が漂っている感じもあり。セリフ忘れが目立ちましたし、声が通らない人もいました(異端審問官の声も前回より張りが無かったし、最後の場面は後ろの席は聞こえなかったのでは)。また、声を無理に張り上げようとして、唾を飛ばしている人が、松たか子をはじめとして目立ちました(最後のシャルルのセリフでは大迷惑だったなあ)。全体の出来は前回の方がよかったと思います。

しかし、主役の松たかこ、ウォーリック伯の橋本さとし、コーションの益岡徹、シャルルの山崎一、検事の磯部勉のがんばりで見ごたえのある舞台であることには変わりありません

この劇で私が最も好きな場面は、シャルルとジャンヌとの二人きりでの対話、それもその終わりに近い部分であり、セリフはジャンヌの「第一歩は自分で踏み出さなくてはならない」というものですけど、今日もそこ場面は素晴らしかった(シャルルは私のイメージ通りの適役であります。なお、シャルルがジャンヌから逃げ惑うシーンでカツラが落ちるのは演出でした。若干無くもがなという感じもありますけど)。


そして、牢獄から火刑台上へのシーンへの転換、台本だけ読むとかなり無理が感じられる転換で、ジャンヌ役の最大の見せ所も、私にはピシッと決まっていた、理屈ではない演劇的真実をそこで見せ付けられた、と思います。

このシーンで少し気になったのは、フランス語の原典は読めないんで確認しようがありませんけど、鈴木訳(アヌイ全集第1巻)では、ウォーリック伯とジャンヌは庶民と貴族という意味で同じ人種ではないという訳(解釈)と受け取れるのに対して、岩切訳の今回の上演では、イギリス人とフランス人という人種の違いと明確に言っている点でしょうか。イギリスとフランスの対立、占領下といった劇全体の文脈からすると、岩切訳の方が正しそうですけど、このシーンではお高く止まって「生きることになれる」ウォーリック伯との対話とすると鈴木訳の方がよさそうだし、どっちなんでしょうかねえ(政治的な正しさは求めておりません。大体、事実上放送禁止用語の「きちがい」が連発されるし。NHKで本当に放送するのかな?)。


「ウォーリック伯のバラの色」問題は、考えてみればシャルルの最後のセリフにあるとおり、「我々の名がとり間違えられても」とあるので、良いのかもと思った次第であります。

DVDが出ないかな?



来週金曜日は鴻上尚史の「僕たちの好きだった革命」を見に行く予定のSt.Ivesでした。でも情勢は厳しそうだなあ。

2007.02.19 Mon » 2週間たって気づくとは...

最近音楽の話題が無いSt.Ivesです。というか片付けとシェーンベルク・アンサンブル・エディションを聴くのに忙しいのですけどね。

そんなこんなで昨日寝るまえに2週間前にドイツから送られてきたメルクリンをちゃんと見ていなかったなあと取り上げてみたところ、どうもおかしい。この違和感は何かと思ったら、外箱の絵と中身が微妙に違うのでした。外箱の絵の方が欲しかったのに、送られてきたのは近い将来買う予定の方でして。いはやは。間違って送られてきた方は客車とのセットで売り出されているものなので、どうしてこんな間違いが生じたのやら。不思議であります。

頼んだ方 スイス国鉄 Re4/4 ”I” 型

39420



間違ってきた方 スイス国鉄 Re4/4 ”II” 型

26534


微妙にというかかなり違うんですが、どちらも購入予定だったので、何となく買った気分になっていたので気づくのが遅れてしまいました。また、順番が入れ食っただけかというと、そうではなく下の方は「客車」付きなので、どうしたものやらというところであります。

2007.02.18 Sun » コメディーは難しい

本日は会社の同僚が参加している劇団(さいたま演劇集団YOU)を初めて見るべく埼玉は南浦和まで出かけた。


演目は「おたぬきさま」という創作劇で、人情物というかコメディというか一種の教訓話なんだろうが、あまり面白い話ではなかった。現代にありながら世間ずれした感のある村の人々が実は俗物だったという展開かと思いきや、そんなことはないし、話の展開に無理があるし(歌でごまかしていたような気もする)。役者が、予想から大きく外れて、アマチュアとは思えない演技と発声だっただけに、話のつまらなさが余計に目だってしまった。もったいない話である。演出的にも、コメディーとしてはもう少し突っ走らせて欲しかったと感じる。役者の演技と語りの力にもう少し信頼を置いたらと思うのだが。


それにしても同僚は会社での普段のイメージとはおよそかけ離れていて、驚いたのでした。普段の自分から違う自分という世界が開かれているから、多分多くの人がそこに飛び込んでやめられなくなってしまうんだろうなあと、一傍観者は思うのでした。



さて、往復の電車内で「コペンハーゲン」を結局読んでしまった。とても面白かった(後書きのハイゼンベルクに関する様々な評価を含めて。このあたりはフルトヴェングラーのそれを思い起こさせる)。

ハイゼンベルクとボーア、そしてボーア夫人が絡んでの不可思議な対話。どのようにでも読み、解釈ができるセリフ。演じる俳優には重い劇。セリフだけの勝負に近いところもあるし、百年戦争よりもはるかに分かり辛い「不確定性原理」、「コペンハーゲン解釈」とかが背景に話が進む。原子炉と核爆弾が原理として同じだということ程度は覚えていたけれども、講談社現代新書の「核兵器の仕組み」と日経BPの「ハイゼンベルクの顕微鏡」程度は見る前に読み直しておかねば、大分このあたりの話は忘れている。でも行列力学まで勉強しようという気は全くおきないけど。

2007.02.17 Sat » 片付け、未だ成らず

今日はどこにも出かけず散らかった部屋の片付けに専念する、ことにしたハズだった。


ここ数ヶ月分の買った本やら雑誌やらCDやらをそのまま床に積み上げていた上にここ1週間で諸般の事情からかなりの冊数の本を買い過ぎてしまい(ジュンク堂で、「別送しましょうか?」と尋ねられたくらい)。かなり難儀している状況。どう考えても収納場所がない。一応テーマ別に本の収納場所を変えようと思うのだが、CDと異なりどうして本はそれぞれの大きさが異なるのか!平凡社と岩波のライブラリーは文庫棚に入らないし、レコ芸を解体、ではなくスクラップ・ブック化するために付録CDを切り離さないといかんし、ブツブツ。あっ、KAIROSから出ているヴィヴィエのこのCDは持っていないぞ。


作業の途中でふと部屋を眺めてしまう。これから先の人生(予定では25年程度)でこれら全ての本や雑誌を読み、楽譜を眺め、CDを聴き、DVDを見ることが叶うであろうか、(ゲーテの)ファウスト博士的絶望感に襲われる。しかしそれでも船は行くと片付けを再開。


途中でS.カンブルランの振るヴォツェックのDVD(フランクフルト州立歌劇場のプロダクション)を発掘したので見ようと思ったらリージョン1であった。どうしたものやら、我が家にはリージョン・フリーDVD再生装置はないしなあ(じゃあ、何で買ったんだという素朴な疑問は許されていない)。つまり片付けを続行しろという聖セシリアの声だなと解釈して、片づけを続ける。何故聖セシリアなのかは私にも分からんけど、少なくともカトリーヌ様やマルグリット様やミカエル様ではない。あれ川原教授の「笑う大天使」が見当たらんぞ。


カバーをつけた文庫本が出てくるので何だろうと思ったら、埴谷の「死霊」第1巻(講談社)であった。解読本(完成していたのか!)を買っていたので再度読もうかと思ったが、疲れた身にはあの文体と内容は全く頭に入らない。「虚体」って「器官なき身体」のことかとか大混乱しそうなので、「死霊」はパスして片づけを続行。


「ピタゴラスイッチ」のDVDが出てくるので思わず見てしまう。この手の仕掛け物は幼稚園の頃から見入ってしまうのだ。「トムとジェリー」に壮大なネズミ捕り装置が何回か出てきたが、それがお気に入りであった。しかし、本が山脈を連ねる装置が出てきて、ジークフリートのごとく使命を思い出し、片付け再開。


M.フレインの「コペンハーゲン」が出てくる。来月新国に見に行くから読んでおかないと!ニールス・ボーアとハイゼンベルクの対話は難しいからねえ、その前に新国での「アルバート・へリング」の予習用にブリテンの振った録音をiPodに格納しておかないと、でもその前に部屋の片づけをせねば。ということで「コペンハーゲン」は「ハムレット・マシーン」と「天使は瞳を閉じて」の間に、「アルバート・へリング」は「ピーター・グライムズ」と「ビリー・バッド(4幕版)」の間に。


いつになったら片付けは終わるのだろうか。

2007.02.17 Sat » アヌイ「ひばり」

2月16日 シアター・コクーン

開演 午後7時 
終演 午後10時半 (途中に休憩15分を挟む) 

「ひばり」

 作 ジャン・アヌイ
翻訳 岩切正一郎
演出 蜷川幸雄

(配役)
ジャンヌ    :松たか子
コーション   :益岡 徹
異端審問官   :壤 晴彦
検事      :磯部 勉
ラドヴニュ師  :横田栄司
ウォーリック伯爵:橋本さとし
シャルル(7世):山崎 一
ヨランド王太后 :阪上和子
王妃      :月影 瞳
アニェス    :小島 聖
大司教     :品川 徹
ラ・トレムイユ :久富惟晴
ボードリクール :塾 一久
ラ・イール   :妹尾正文
ジャンヌの父  :二瓶鮫一
ジャンヌの母  :稲葉良子
ジャンヌの兄  :掘 文明


席はB列中央

四半世紀も前に読んで以来、一度生で見てみたいと思うも、劇団四季が時々取り上げていたにもかかわらず、中々その機会が巡ってこなかったが、ようやく見ることが出来た。そしてあっという間の3時間半であった。これほどのものであったとは。

「ひばり」(1953年初演)は、ルーアンでの宗教裁判において、ジャンヌ・ダルクがドン・レミから当の裁判に至るまでの人生を再演する格好で異端審問を受けるという一種の裁判劇。「ひばり」とは、「いやらしいところ下賎なところもあるフランス、しかし時として、天高くかけて、それを忘れさせる存在がある」(ウォーリック伯)。ジャンヌ・ダルクがそれだと。

時間的に近いP.クローデル作品(オネゲルのオラトリオ「火刑台上のダンヌ・ダルク」)が愛=自己犠牲的な側面を取り上げているのとは異なり、消し難きものとしての「人間」を高らかに謳いあげる。よって、ジャンヌ・ダルクの生涯を幾つかのシーンに分けて追いかけながらも、クローデルをはじめとする諸作品と異なり、最後は火刑台上のシーンから一転して輝かしいランスの戴冠式シーンで終わる。異端審問に「はい」と言ってしまい、そのまま暗く沈鬱に絶望的に終わるオーウェルの「1984年」の結末とは大きく異なり、ジャンヌ=人間は決して死なない。

演出については隙間無く、3時間半の長丁場を観客に高い集中力で見向けさせるような仕掛けでびっしりと埋め尽くしていた。それについて書くと本当に切がないので、ここは「さすが蜷川である」の一言で終えておく。とはいえ、これも役者がそれに応えたからであることは言うまでもない。

まずはジャンヌ役の松たか子。美人というよりはかわいい顔だが、髪を短めにして中性的な(あるいは少年的な)雰囲気を出しつつ、大きな目を生かした豊かな表情(瞬間的な切り替えも含めて)と軽々とした動きで熱演にして好演。セリフも最後まできりっと引き締まっており、劇を成功に導いていた。それにしても、彼女がシャルルに「勇気」を説くシーンは、セリフといいその台詞回しといい、野田秀樹のどこかの作品をを思い起こさせた(その論理も野田的だったので、野田がこっちを参考にしたのかなと今様ながら思うのだった。そういえば、見にいけなかったけど、野田版「罪と罰」にも松たか子は出ていたなあ)。

また準主役陣がいずれも良い。まず存在感ばっちりだったのは、壤 晴彦演じる異端審問官。あの声と表情で迫られたら、泣きながら「はい」と言ってしまうだろう。ドストエフスキーの「カラマーゾフ」でも同名役を見てみたいものだ。

続くは、「ピンクのバラの人」ウォーリック伯を演じる橋本さとし。伊達貴族然(リチャード三世の肖像画を思い起こす)とした立ち居振る舞いといかにもっぽいせりふまわしに多少笑いを覚えつつも、舞台に覚めた感覚をもたらし、「空虚な人間」としてジャンヌにある種の羨望を持つ人物を浮かび上がらせていた。

ただ、これは役者に言ってもしょうがないが、当時は「イギリス」も「英国」も存在していないので「イングランド」とセリフでは言って欲しかった(かつ「イギリス」と「英国」とセリフによって異なっていたのも違和感がある。せめてどちらかに統一して欲しかった)。

もう一つ言うと、ウォリック伯リチャード・ビーチャムがどうしてピンクのバラを持っているのか?「ヘンリー6世第1部」(シェークスピア)で白バラを手にしたはずなんだが...(娘婿のウォリック伯リチャード・ネヴィル<1428-1471>だったら、”キング・メーカー”として赤バラのランカスター家ヘンリー6世と白バラのヨーク家リチャード4世の擁立と廃位を行っているので、ピンクのバラこそ相応しいと思うのだが)。

そして、コション役の益岡徹。時々舌を噛んでいた(笑)。とはいえ、不安にさいなまれた実に良い人ぶりであった。コションは、他のジャンヌ物ではかなり悪役、かつ史実をみても生臭坊主そのものだったようだが、この作品では、イングランド占領下で立ち居振る舞いを考えつつも(彼から見た)最善をなそうとする人物と描かれているので、とても似合っていた。

最後に小心で利己的な、それゆえフランスに絶対王政(官僚制と常備軍)の道筋をつけたシャルル7世演じる山崎一。ジャンヌとの最初の謁見シーンで逃げる際にカツラが取れるハプニング(?)を起こしていたが、笑いとシリアスな場面との上手い切り替えの妙が楽しい。

そうそう、非常に嫌味っぽい、しかし異端裁判でジャンヌにいいようにやられた坊さん達のおろかさとせせこましさを持った、味のある検事役の磯部勉を忘れるところであった。

もう一回見に行きたいが、チケットは売り切れ状態。ヤフオクでも結構な値段で、かつ今月はドレスデン、チューリヒ、新国の「薔薇」のためにお金もない。どうしたものだろうか?




2007.02.11 Sun » リサイタルとオペラ

アンスネスの8日@タケミツ・メモリアルと10日@さいたま芸劇のリサイタルに行った。圧倒的な素晴らしさであった。8日はアンスネスの手が入りまくった「展覧会の絵」に唖然とし、8日、10日に演奏されたベートーヴェンの32番(この曲は10日のようにやはりリサイタルのラストの曲だと思うのだが)の演奏は、多分、人生の終わりに思い出す一瞬となるだろう。凄すぎる。


翻って、本日11日は東京文化会館にR.シュトラウスのオペラ「ダフネ」日本初演の2日目を見に行く。大昔、ベーム指揮のディスクを聞いて、あまりの退屈さにほっぽりだして以来だが、それほど悪くは無い曲だと感じる。もっとも、歌手は総じて音程が不安定か、割れた声でがなっていて興ざめ。一部に注目の振り付け師による演出も、ヘンツェの「バッカスの巫女」ならば合っているかもしれないが、牧歌的な響きが支配的なこのオペラでは、ダンスが妙に浮くシーンが多かった。

まあ、若杉は日本初演が多くて感謝するが、こんな感じの詰めが甘い舞台が多い気がする。来年の「軍人たち」がこういう結果にならないことを願っている。


これからシェーンベルク・アンサンブル・エディションを聴いて寝るつもり。
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St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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