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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2007.03.27 Tue » 「グールドのシェーンベルク」(筑摩書房)

読了。

シェーンベルク生誕100年を記念した、10回のラジオ・シリーズの原稿と実際の放送を起こしたもの。

様々な切り口でシェーンベルクをグールドは解説し、彼のお気に入りの演奏で様々な曲が紹介されていく(でも、「ヤコブの梯子」はなかったような)。何回かはグールドによるインタビューも入っていて、シェーンベルク夫人、コープランド、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュ、ラインスドルフ、そして何とケージとも電話でインタビュー。ケージがシェーンベルクの弟子だったことは知っていましたけど、「時がたつにつれて、聴くたびにシェーンベルクの音楽に対する尊敬の念がますます湧いてくるのがわかります。シェーンベルクの音楽が今よりもっと尊敬され愛される時代がやって来てもおかしくないと思います。しばらくはウェーベルンの方により多くの関心がむけられるでしょうが、シェーンベルクの音楽への関心はこれから高まりこそすれ、衰えることはないだろうと思います」(p.185)と述べていたとはねえ。

この本の価値の一つは、全体の半分を占める注と出典でしょう。これは大変な作業だったと思いますけど、非常に役立ちます。素晴らしい。


文面からは、相方のケン・ハズラムとの会話に楽しそうなグールドの声が聞こえてきて、これを読むとシェーンベルクがとっても好きになれる、かも。いずれにしろ、グールドを愛される方々、そしてより少ないと思われるけれどシェーンベルクを愛される方々にはお薦めの非常に面白い本であります。あっ、コルンゴルト好きな人とブーレーズが好きな人はちょこっと不愉快になるかもしれませんが、そこはご愛嬌ということで。


シェーンベルクのピアノ協奏曲(独奏は「ローカルなピアノ弾き」)、この本の中では一種独特の地位を与えられている作品を聞きながらのSt.Ivesでした。あっ、「プリズメン」(筑摩学芸文庫)が棚から頭の上に落ちてきた。
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2007.03.25 Sun » BBCマガジン4月号

能登半島で地震。かつて臨界事故を起こしていた北陸電力の原発はまさにそのど真ん中にあるのだが、大丈夫だったのだろうか?


昨日「グールドのシェーンベルク」(筑摩書房)を購入。読み始めると、中々に面白いので、生誕75年、没後25年を記念して実際のラジオ放送も聞けるようにならないかな。


その「グールドのシェーンベルク」と同時にBBCマガジン4月号も購入。特集は夏の音楽祭(羨ましくなるので読まない)と識者の選ぶソプラノのベスト20(あまり面白くない)。そのほかダウスゴーのインタビュー(興味深い)、「今月の作曲家」でベリオが、「今日の作曲家」でペンデレツキが取り上げられていました(前者は簡潔な、後者はより簡潔な紹介)。

さて、英国の音楽誌なので、このところ話題にのぼった "The Jouce Hatto Affair"も当然取り上げられています。長いこと病気で表舞台から消えていたHattoが亡くなる前後から、彼女の演奏といわれるCDが幾つか出回り、一部の批評家や通から「天才だ」と大絶賛されていたのに、実はそれがさまざまな他人の演奏を借用したり、テクノロジーを利用して変更したりしていたことが(ほぼ)明らかになったものであります。まあ、日本でも裏青盤が出ていますが、あれだって本当に本人のものか分かりません。正規発売ですら実は違う人だったという話をたまに聞きますから、他人事ではありません。

BBCマガジンのコメント・コーナーでThe TimesのChief Music CriticのRichard Morison氏がこの問題を取り上げています。彼は、件のCDを発売したHattoの旦那に対する非難は殆ど行わず(でもHattoの名声に永遠にシミをつけたと批判しています)、クラシック音楽は、全てを知ることは到底出来ず、信頼で成り立たざるを得ない世界なんだけど、いたずらも含めてだまくらかそうという人が多くてねえ、と幾つかの事例(うち一つは本人も被害にあっている)を挙げた後、技術進歩の結果ますます巧妙になるこの手の詐欺あるいはいたずらにだまされない方法はただ一つ、「批評家も、通も、一般の人々も録音物だけを聞いて『天才だ!』などと主張しないこと」だと締めくくっています。コンサートで示しされない限り信用するな、と経験主義の国らしい結論であります。









「ぞっとするね、コンサートは。すでに死んでいる」
"Concert Dropout" Glenn Gould in conversation with John McClure






これからアルカンの「協奏曲」を聴いてから「ひばり」を見ます。因みに演奏はナナサコフ、ではなくアムランですけど。

2007.03.21 Wed » 液晶ハイビジョンTVがやってきた

ようやく我が家でもデジタル放送を楽しめるようになった。何より、ヘッドフォンをすると耳につくブーンという雑音が聞こえないのが嬉しい。今をさること17年前、1990年秋のシノーポリによるマーラー・チクルスで唯一録画放送された8番でも、「神秘の合唱」の裏でこの音が鳴っていて泣けてきたことを思い出すと隔世である。

ただ、これほど鮮明な映像を見た後だと、そのマーラーの8番にせよアナログ時代のVHSの録画物などとても見れたものではない。NHKが全部再放送してくれないかと希望。

また、ハイヴィジョンで放映されたものはそのままはDVDに落とせないのが難点である(1回しか録画できない点も、DVDが傷ついたら最後なので困りものではある)。ブルーレイDVD録再機の価格がパソコン並みのスピードで下落することを希望。

とりあえず、最初の録画はニュージーランドの森に住むペンギンの番組(NHK総合)と決定。

2007.03.18 Sun » オーチャードでのマーラーの5番

午前中は部屋の片付けや、J-COM(ケーブルTV会社)と契約をし、午後からオーチャードでのM.ボーダー指揮東フィルによるR.シュトラウスの「死と変容」、マーラーの5番を聴きに行く。前者は記憶になく、後者は、3楽章を除くと苦手な作品だが、ボーダーがどう聞かせるかを確認しようと出かける。


久しぶりのオーチャード1階後方、若干雨宿り気味の席のあまりの音響のひどさに、分かっていたとはいえ、辟易する。「死と変容」が鳴り始めると、一瞬「モノラル録音?」と思うほど音に広がりがなく、かつ非常に遠い。妙にティンパニだけが聞こえてくる。音は団子状態で寝ぼけていて、マーラーを聞かずに帰ろうかと思うが、ともかく耐える。しかし、「死と変容」は実に詰まらん作品だった。「ドン・ファン」の後の作品とは思えんぞ。


続くマーラー、若干アンプが温まった感じで音に少しは広がりが感じられるが、今をさること17年程前のバーンスタイン指揮ロンドン交響楽団によるベートーヴェンの7番のコンサート同様に、やたらめったら金管とティンパニ、大太鼓ばかり耳につき、弦が何をやっているんだか状態の音には変わり無く、演奏を楽しむどころではない。席が端だったらさっさと立ち上がって帰るところであるが、じっと耐える。しかし17年経っても全く改善されていないとは...。


ただし、ボーダーの解釈はホールの音響の悪さを割り引いても、悪い方向での予想通り。部分部分では色々面白いことを仕掛けているように聞こえるし、ベルアップやらせたり、5楽章のフーガを明瞭に聞かせようするなど細かい指示をしていたようだが、全体的には叙情的というか微温的で、まとまりが悪く、締りなくダラダラと音がたれ流れている感じ。



帰りに渋谷タワーに寄りタワー限定のベリオ作品集(RCA原盤)を買い、その後新宿のヨドバシでデジタルTV用にHD・DVDレコーダーを購入。これでようやくパソコンではなくテレビ画面でDVDが見られる。

2007.03.09 Fri » Aus Nieder-Deutschland

本日、日本橋丸善が新装オープン。ジュンク堂池袋店を最もよく利用する身には、その店舗はあまり大きく見えなかったが、文房具売り場は丸の内店同様に魅力的。

また、本をお買い上げの方にオープン記念として「万年筆物語メモ」がプレゼントされた。曰く「夏目漱石と内田魯庵が愛用した原稿用紙をモチーフに、メモ帳を作成いたしました」。原稿用紙の紙質ではないが、昔風の絵柄と20×10行の桝目が印刷されていた。縦書きのメモというのも良いかも。外来語もすべてカタカナで書く、例えば、ラジヲとか...ヲではなくオだったか?


さて、最近ポツポツとシェーンベルク・アンサンブル・エディション全25セットを見聞きしている。「見」が入るのは、CD22セット、SACD1セットのほかにDVD2セットがあるため。

曲目は膨大、ミヨーとかヤナーチェクとかこの団体が演奏していたとは思ってもいなかった作曲家がまるまるCD1枚で取り上げられていたり、ヘンツェのオペラ「若い恋人たちへのエレジー」がナッセン指揮で全曲収まっていたりする。

また、たった1枚のSACDは、これまたたった23分弱しか収録されていない。他の曲とのカップリングが教祖様から許されなかったのだろうか?我が家にはSACDはないので確認できないが、多分マルチチャンネル録音ではないかと想像される、なぜならばその曲は「グルッペン」だから。教祖様は駄々をこねたのだろうか、可能な限り忠実に再現できなければ販売は認めないとか?

あるいは2枚組みDVDでクロ-ド・ヴィヴィエのオペラ(?)"Reves d'un Marco Polo"とドキュメンタリーが入っていたりする(これは未視聴)。



そしてもう1セットのDVDが、カーゲルの"Aus Deutschland"。

歌曲集というか語り歌い演じるパフォーマンス作品(演出はヴェルニケ)。ドイツのロマン派の詩人達の作品の断片を色々組み合わせて構成しており、当然歌われるのはドイツ語。字幕の言語選択がないなあと思いつつDVDを再生すると、ドイツ語と英語をチャンポンにしたような、かつ母音が2個繋がる単語がやたら目立つ言語が字幕に現れた。懐かしい、オランダ語だ。

しかし、オランダ語は分かりづらいから英語に字幕を切り替えようと思ったら、無い、どこを探しても他の言語の字幕が無い。解説書は英語だが、歌詞はドイツ語だけしか掲載されていない。インターナショナルな売出しを狙っていないのか、このセットは?そもそもオランダ語なんぞたった1000万人しか喋らない少数言語でこれでは国が危ういと、子供の頃から徹底的な英語教育を施していた国ではなかったのか?

ともかく、高地オランダ語の歌詞を低地ドイツ語の字幕で表示されても分からんなあと思いつつ見終わる。なお、見終わった後、何を歌っているのか今一分からんが、あらためてカーゲル流のユーモアは私には無縁であることを確認。


この後、リゲティのヴァイオリン協奏曲、独奏はP.ツェートマイアーを聴く予定。カップリングはメロディーエンと新旧(とは言わないけど)アヴァンチュール。



明日はアルバート・ヘリングを新国に見行く予定のSt.Ivesでした。

2007.03.06 Tue » 「コペンハーゲン」と「バブルへGO!!」

今週末に、新国立劇場小劇場でマイケル・フレイン作の舞台「コペンハーゲン」を、近くの映画館でホイチョイ・プロダクションの映画「バブルへGO!!」を見た。前者はすべての関係者が死に絶えた時点から1941年9月(あるいは10月)のある1日を振り返り、後者は2007年3月から1990年3月下旬を振り返った(?)もの。


「コペンハーゲン」は重く、暗い。

1932年のノーベル物理学賞受賞、量子論における「不確定性原理」を見出したヴェルナー・ハイゼンベルク──1941年時点ではナチスの原爆開発計画「ウラン計画」の責任者──が、かつての恩師であり1922年ノーベル物理学賞受賞、量子論の大立者ニルス・ボーア──デンマークを占領したナチスの監視下にある──を1941年に尋ねた際、彼らの間で何が話し合われたかを取り上げた作品。この二人に、戦後ハイゼンベルクを批判し続けた辛らつなボーア夫人が絡んで、話は進められる。

原爆開発と原子力発電(原理は一緒)、祖国愛と倫理、真理追求とその結果への恐れ、結果として汚していない手と結果として汚れた手、勝者と敗者、功名心と自負心etc.。原子や電子程の微小な世界では、観測者が関わることで、位置と速度の両者を同時に正確に計測は出来ない(確率的にしか定まらない)、あたかもそれに似たハイゼンベルクとボーアの重たい会話と同じシーンの繰り返し(人間宇宙論のように分裂していく、あるいは「シュレジンガーの猫」のように、ボーア家の扉が開くまでは確定しないのか?)。最後は、世界の中心(観測者である)人が消え、すべてが決定しなくてよい暗闇へと消えていくと、何が話されたかは最後になっても明らかにならないままに終わる。

限りなくセリフのみで進む劇なので、セリフの言い間違いや間の取り方はかなり手痛い、その点でボーア夫人役の新井純はちとそれが多くて緊張感が切れてしまう(特に非常に辛らつなセリフを吐く役だけに余計に目立つ)。ボーア役の村井国夫は好演。セリフの通りも良く、淀みなく法王としてあるいは慈父としてのボーアが浮かび上がる。またハイゼンベルク役の今井朋彦も、予想以上に若々しい声のハイゼンベルクだった──実際のハイゼンベルクも1941年ではまだ38、9歳だったのだが──とはいえ、プライドを持ち、憔悴し、一方で慈父にすがるような感じも仄かに漂わせ、この複雑な役を見事に演じていた。



「バブルへGO!!」は軽く、明るい。

出だしこそ、800兆円を超える国債残高の重みと回復しない景気で2年後には日本経済は破綻するという暗い見通しを、主役の一人阿部寛演ずる財務省審議官が非常に暗く説明する。MOFの中も暗く(それらしくセットを作っている)、重ったるい雰囲気なのだが、主人公の広末が1990年3月に飛んでからは、幸いなことに(無責任だが)、笑えた(「幸いなことに」と言うのは、例えば日本長期信用銀行に勤めていた人には笑えない話だから)。

私はバブルのころは学生だったのでその恩恵は殆ど受けていなかった(もっとも、学園祭で喫茶店を出した際、コーヒー・メーカーが宣伝と引きかえに無償でコーヒー豆を提供してくれたのはその恩恵か?)。しかし、話で聴いたり、そうだったよなあというシーンが幾つもあり、ふとノスタルジーにも浸ってしまった。ティラミスってどうしてあんなに流行ったんだろう?

一応、広末の目的は大蔵省の「不動産向け融資の総量規制」通達の公表(1990年3月)を食い止めに行くのだが、過去に行くことは別としても、過去に行ってそれを説得する手段・方法は頭悪いなあという感じ。それよりも、その当時の様相を再現している方にとかく目が奪われてしまった(なお、無名時代のラモスに、「ドーハの悲劇」の話をするシーンには笑った)。

阿部寛以外の役者については、主役の広末はとても一児の母とは思えないほど若い(設定では22歳だが、もっと幼く見える)。そして広末の母役の薬師丸ひろ子の若作りはちょっと無理を感じた(致し方ないか)。

見終わって、「総量規制」がなければバブルはつぶれなかったのだろうか?という疑問はさておき、本来経済主体の自由な裁量・判断(つまり自己責任)で行われるべき銀行貸出が、お役所の通達一本で止められる世界があったことこそ隔世の感があった。


「バブルへGO!!」に出てきた「週間ダイヤモンド」2007年3月10日号が読んでみたいSt.Ivesでした。

2007.03.01 Thu » オネゲル・ファンの皆様へ?

今年はスイス国立銀行(スイスの中央銀行)の創立100年ということで、記念コインが50フラン金貨と20フラン銀貨の2種類発行されます。

その内の20フランの方のデザインがオネゲルだそうです。デザインに彼が選ばれた理由は今一分かりませんけど、スイス初のコインのデザインに選ばれた作曲家となります(音楽家としてはすでに指揮者のアンセルメがいます)。

ではまた

2007.03.01 Thu » 朝日のような夕日をつれて’87

牛タンの地の出張から戻ってみると、「朝日のような夕日をつれて’87」のDVDが届いていたので、思わず最後まで見てしまう。

今から20年前の夏、予備校の夏期講習と偽って紀伊國屋ホールへ見に行った時の舞台(私が見たのは、この当時は書いていた日記によると、8月9日の昼公演)。さすがに映像として古く(実際甘い映像であった)、すでに「朝日のような夕日をつれて’93」がDVDになっているので、この年の「朝日」は出ないだろうと思っていたら、いつのまにか発売されていたので即注文。

見ていると、まず役者の若さに驚く(キャストは大高洋夫、小須田康人、筧利夫、勝村政信<これがデビューだったか?>、伊藤正宏)。そして、こんなシーンあったかな?という部分や、これはさすがに古いなあ(当時の流行を取り入れているので今では理解不可能なギャグも多々あり)というところも感じさせ、今もって理解できるない、あるいは追えるような筋らしい筋が無い。にもかかわらず、バブルの時代のごとくすべて消費されていく言葉、ある種の熱狂を持った様々なシーンが疾走し集積し、最後に結論とも言えない結論に到達する感動的な舞台、言葉にし得ない何事かが生じた舞台であった記憶が蘇る。




というわけで、週末には「バブルへGO」でも見に行こうかなと思っているSt.Ivesでした。
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St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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