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どうも、「ソラリス」を読み終えたSt.Ivesです。リチャード・パワーズの「ガラテア2.2」がこれを下敷きにしていることにようやく気づいた次第です。
新聞を読んで、新国のオペラ部門の次期芸術監督には驚きました。向うでもオペラを振ったという話は聞いたことがないんで、何を取り上げるのかとプロフィールをみて、個人的には絶望感いっぱいの状況です。 芸術監督を3年で交代させるのは、変な話です。オペラハウスというのは、ある程度長期的ビジョンを持ち、それに基づいて計画し、実行に移していかなければならない場所だと思われるのですがね。あそこを天下り先程度にしか考えていないお役人にとっては、3年ローテーションという発想しか出てこないでしょうねえ。 これから「ユリシーズの涙」(ロジェ・グルニエ)を読もうかと思うSt.Ivesでした。しかし、メーテルランクが飼い犬のブルドッグに「ペレアス」と名を与えるとはねえ。もうドビュッシーのオペラが笑いなしには聴けませんよ。フレンチブルドッグのメスを飼ったら「メリザンド」とでも名づけようかな。
どうも、昨日の分をアップし忘れていたSt.Ivesでした。
森美術館で7月13日まで開催中の「ターナー賞の歩み」展に行ってきました。向うにいる間、それこそタブロイド紙から高級紙まで取り上げる一大イベントなんだと初めて知りましたが、過去は殆ど省みられなかったり、中止に追い込まれたりしていたとは知りませんでした。日本で言えばこれだけ取り上げられる文化的・芸術的な賞と言えば「芥川賞」と「直木賞」程度なので、プレゼンと話題づくりの勝利でしょう。 たまたま、近くで学芸員による案内があり、何でも過去3回程、英国全体で物議をかもした作品があったそうです。 一つは悪趣味と批判され、動物愛護団体も抗議し、入場者がいつもの2倍に達したと言うデミアン・ハーストの「母と子、分断」。まあそうでしょうなあ。あらためて実物を見ると、かつて生命であったものをこういう形で展示するおぞましさと、ほぼ毎日食べていて、そのためになされている行為と同じであるという事実とどうにも折り合いがつかないという心地の悪さ、そして無機質で不気味さを感じさせる作品であります。 二つ目は、ホワイトリードの作品「ハウス」。これが何故?と私には思われるほどに当時は物議と非難・批判を浴びた作品。すでに現物はきれいさっぱり地元公共団体によって撤去されており、今では写真のみでしか見れないのですが、そのこと自体が作品の一部であるとも思わせてしまう作品。 そして三つ目がマドンナなプレゼンターを務めた2001年受賞作 クリードの「ライトが点いたり、消えたり」。デュシャンの「泉」かケージの「4分33秒」の衝撃を今一度という感じでしょうか。アイデア一発勝負!でもその勇気が大方の人には無いのですよ。文句言うならやってみろ、と。 個人的には1997年受賞のジリアン・ウェアリングの作品が好きです。1時間がんばって見たあとのラスト・シーンの素晴らしさは、どうにも退屈で致し方ない駄作・駄演のコンサートに付き合わされてしまった後の開放感に通ずるものがあります。因みに、昨日の午後はそのラストシーンが午後1時45分、2時45分頃に来ました。えっ2回もぼ〜っと見ていたのかって?さあ、どうでしょう。 ともかく面白いと思うか、悪趣味だとかこれは芸術ではないと思うかはあなた次第の興味深い展覧会なのでお薦めです。秋に開催予定の横浜ビエンナーレがターナー賞級の注目度を日本で浴びる日はいつのことやら。 来週は、文化村まで愛するロシア・アヴァンギャルドの作品展を見に行く予定のSt.Ivesでした。タトリンの「第3インターナショナル記念塔」の実物が来ているらしいですよ(ウソです)。
どうも、そう評した方が2007年5月号グラモフォン誌のエルガー特集におられましたなあ、と思い出したSt.Ivesです。誰かはご自分でご確認ください。
今は好きな作品でも、最初はとっつきにくかったので、本日の聴衆の中に爆睡している方が散見されたのも致し方ないところでしょうか。 6月26日 タケミツ・メモリアル 演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 指揮:飯守泰次郎 独奏:千々岩英一(Vn) エルガー:ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 op.61 ニールセン:交響曲第4番 op.29 「不滅」 テンポも好ましく、のりも良く、悪い演奏ではなかったのですが、ヒラリー・ハーンの偉大さ、天才振りをあらためて思い知らされたというのが真っ先に浮かんだ感想であります。 彼女はCDの録音と平行してロンドン・バービカンで2回コンサートを行い、いずれも聞きましたが、CD同様にどの音も浮つかず表情付けもはっきりし、完全に弾ききっておりまして、実演で聞くのがそれが初めてということもあって、譜面(オイレンブルク)は難しそうな曲だけど、まあシェーンベルクほどでは無いし、シベリウスが弾ければクリアできるのかねえとか漠然と思っていたのですが、千々岩氏をしてかなり音を外したり、抜かしたりして、やっぱり難しい作品だったのねと思い知ったのでした。 「不滅」は良く分からないので割愛(あれだけ煩い作品だけど半分寝ていた)。 これからBBCマガジンでも読もうかと思うSt.Ivesでした。RVWの交響曲第5番はどんな曲だったかなあ?
どうも、「アリアーヌと青髭」を聞きながらのSt.Ivesです。
本屋で表記の本を見つけて何気なく手に取ったところ、意外に20世紀の音楽も最近に至るまで書かれていたので購入してみました。しかし、読んでみて何か違和感あり。バロック以前の扱いが短すぎるせいかなとか思っているうちに、はっと気がついて索引をみて納得。アイヴス、ラッグルズ、コープランド、カーターといった人達がすっぽり抜け落ちているのでした。シュナーベルが作曲していることとか、テレジン強制収容所の作曲家たちまで言及しているのにねえ。 そういえばデュカスへの言及も全く無かったような気がするSt.Ivesでした。
どうも、大学生時代に副都心線が無くてよかったかもと思うSt.Ivesでした。毎日遅刻であります。
ラッヘンマンとリヒャルト君を流し聞きしていますが、ラッヘンマンのアウスクランクってこんな派手な曲だったかなとcol legno盤を聞きなおそうかと思いました。一方リヒャルト君は、これまでの人生でアルペンは5回程度しか聞いたことがないような気がしますけど、どこかリヒャルト君していない感じで耳がそばだちます(単にオケが薄いというのとは違う気が)。いずれ誰かきちんとその辺りを書いてくれるでしょう。 CDの解説でも、全然違う傾向の曲であることは合点承知の助よっ、てやんでえ!と書かれていました。アイデアを提出したのは、楽器で変な音を出すように指示して演奏家を苦しめることに飽き足らなくなった(と思われる)作曲家が、リヒャルト愛好家と現代音楽愛好家の双方 で、どっちも好きな私には、ハーンの向うを張ったカップリングに違和感だけしか感じなかったし、しょっちゅうこういう感じの組み合わせで聴いているので、屁でもねえぜとか思ったんですが。それに多分普通のリヒャルト愛好家はラッヘンマンとのカップリングでは買わないんで、シュトラウスの歌物(四つの最後の歌とか)も入れて歌手で買わせるようにしないとねえ、例えばフランクフルト出身のC.シェーファーと共演とかして。 あらためて聴くと自作のカット&ペーストで省力化が図られていて、さすがアルプスだけにエコな作品だと思ったSt.Ivesでした。お後がよろしいようで。
どうも、ユリシーズを斜め読みしているSt.Ivesです。
本日トッパン・ホールより、今年12月のフォン・オッター来日が中止になったとのお手紙が来まして、今週土曜日にはトッパンまで出かけてチケットをゲットしようと意気込んでいたので拍子抜けし、がっくりときました。来日中止の理由は不明。 HMVからCD到着。これからラッヘンマンのアウスクランクとR.シュトラウスの「アルプス交響曲」のカップリングを聴こうかと思います。これと比べると、シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲のカップリングの方がまだ理解できる気がします。イチゴ大福のような微妙さをアンサンブル・モデルンは狙ったんでしょうか?他に届いたCDはNUNとアバドのベートーヴェン交響曲全集(DVDの音だけのもの)、そして噂では超駄作と言われ、でもレコ芸では長木氏が褒めていた、「自然交響曲」です。 もっとも批評と言うのは難しいもので、ラフの交響曲は19世紀中はあれだけ褒められていたのに忘れられてしまった一方、非難轟々の作品が残ったりします。ただ非難轟々で、そのまま殆ど忘れ去られた曲もありまして、例えばダンディの交響曲第2番は、スロニムスキー編の名曲悪口事典でこれでもかと言うほど悪口を書き立てられていますが、モントゥー指揮のディスクを聴く限り、そんな大層な曲か?と思ってしまいますし、実際現在は現役CDもない状況です(EMIが復活させないかなあ)。 とまれ、ダンディの作品がR.シュトラウスの「英雄の生涯」を子守唄を思わせるポピュラー・ソングのように感じさせるとは思えないのですがね。 「アメーバーのすすり泣き」を実際に聴いてみたいSt.Ivesでした(ウェーベルンの「五つの小品」の悪口に使われた表現)。
どうも、練馬と渋谷が直通になる日が来て感慨深いSt.Ivesです。大学生の頃にあれば楽できたのになあ。
本日は学習院大学に用事があったので平和台から各駅停車渋谷行きに乗り、ゴースト駅だった新線の要町、千川と過ぎてかつての新線池袋に到着。以前はまるでデ・キリコの絵のように人がいなかったのに混雑しており、一瞬降りそうになってしまってから、そういえば雑司が谷駅から大学に行けることに気づきまして、そのまま乗り続け到着。雑司ヶ谷駅は、白くてきれいにもかかわらず、その作りがふと東欧圏の深いところにある駅を思い出させるものでした。 学習院大学での用事が終了し、御茶ノ水から神保町に(ほぼ毎週のこのパターン)。新宿線で新宿三丁目に出て高島屋の方に向かう地下通路に出ると、そこは名古屋人もびっくりの人だかりでありました。雑司ヶ谷駅でも見かけたような、どうみても「テツ」じゃない人々が一生懸命記念撮影をあちこちでし、記念品を探し回っていまして、もしかして日本全体で「テツ」化が進行したのか?と思ったのでした。 帰りは、副都心線の新宿三丁目駅から飯能行きの急行に乗ったら、早いこと早いこと。わずか10分程度で小竹向原駅につきました。いあや、便利であります。 ブルターニュの蕎麦クレープの店で夕食をとっていたら、隣の日本人女とフランス人男の日仏英語のトリリンガルでのいちゃつく会話が煩くて落ち着かなかったSt.Ivesでした。一瞬、某漫画のフランス人指揮者とその日本人彼女を思わせる感じでありました(で、私は誰?と自問してがっくりきましたけど)。
どうも、ここんところ調べ物で忙しいSt.Ivesです。
そんな中、9日で終わってしまうというので六本木の国立新美術館までモディリアーニ展を見に行きました。モディリアーニの全体像がようやくつかめたのと、どうしてああいう絵になったのか、そして同じように見えて、実は全然違う、無個性の中の個性の表出と言いましょうか、そういったことも分かりました。それにしても実質活動期間は10年程度、画風を確立してからは5年程度でしょうか、あまりに短い人生であります。 出品作には、有名な作品のほかに、カタログ上のみで存在が確認され、60年近く行方不明であった作品も公開されています。 というわけで、あと2日しかありませんが、まだご覧になってい方にはお薦めです。 これからジャン・ジュネ原作のミカエル・レヴィナスのオペラ"Les Nègres"を聴こうかと思うSt.Ivesでした。
ベートーヴェンのカヴァティーナの最後の音が消えた後の長い静寂、そして長く続く拍手。さようなら、そしてありがとうアルバン・ベルク弦楽四重奏団。
6月1日 午後4時開演 サントリーホール ハイドン 十字架上のキリストの最後の七つの言葉 より序奏 ベルク 抒情組曲 シューベルト 弦楽四重奏曲第15番ト長調 D887 アンコール ハイドン 弦楽四重奏曲 作品76-4より第2楽章 6月2日 午後7時開演 サントリーホール ハイドン 弦楽四重奏曲第81番 ベルク 弦楽四重奏曲op.3 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132 アンコール ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 op.130 より第5楽章 おやすみなさい
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