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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2015.08.24 Mon » 8月23日サントリー サマーフェスティバル 「若き詩人のためのレクイエム」日本初演

どうも、配られていた冊子にある過去の演奏履歴をみて、これまで聴いたのが2003年ルツェルン、2009年ベルリン(2回)、そして今回2015年東京なので、6年後の2021年にどこかでまた聴けるんだなあ、と思ったSt. Ivesです。

ということで、4回目の実演、ディスクでは体験できないこういった大規模な空間的な作品かつ、現代における音楽家としての営みとしての考え方を示した作品ならば行かねばと出かけたところ、実に大満足の演奏であった。合唱、オケそしてスピーカー(人と機械)の音響処理を含めて十全であり、素晴らしかった。残響が長めのサントリーでこれほど明晰にテープの音響や各楽器が聞こえるとは!記憶の彼方のベルリンやルツェルンよりも音響の渦に取り囲まれている感じや空間性が素晴らしく聞こえた。

そして、字幕は期待以上に素晴らしかった。ベルティーニが振っているWERGOのCDには一応原文が載っているのだが、はっきり言ってドイツ語だって怪しいのに、チェコ語に至ってはわからんよ、だったので、「人間の顔をした社会主義」を標榜した「プラハの春」がブレジネフ・ドクトリンのもとでつぶれされた際のドプチェクの演説内容がようやく詳細に理解できたのであった。ちなみに、プレトークで今回のサマフェスを企画した長木氏は、読めないことを意図した1箇所があると述べていたが、どこかは正直わからず。翻訳が500円くらいで売られていれば買ったのだが...。

それにしても、ツィンマーマンは、まさか自分の死後にソヴィエトが崩壊し、チェコがビロード革命を成し遂げ、テープにも登場したナジ(1956年の失敗に終わったハンガリー革命(「動乱」はソヴィエト側の表現である)の際の指導者。後に処刑される)と異なり。ドプチェクがチェコ大統領として復権するとは思っていなかっただろうなあ。


ということで、偶然かもしれないが、時宜に適った企画とそれに応えた演奏に大満足のSt. Ivesでした。
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2015.08.22 Sat » 指揮者選

どうも、シノーポリの振ったヴェルディのレクイエムが12000円弱で売られているのをみて、ほんのちょっと心が揺れたSt. Ivesです。

それはともかく、レコ芸9月号、5年振りの企画、結構多くの人がキリル・ペトレンコを期待のホープに挙げていて、パレストリーナとスークとラフマニノフだけで判断したのか、はたまた現地に聴きに行っているのかなと、思いました。BPOのデジタルコンサートを聴いてもいまひとつぴんとこなかったなあ、まあ、法悦はよく分からんし、エルガーの2番は、高貴ではない、異様に遅くてジャック・ザ・リパーのいるロンドンといった趣きの退廃的なシノーポリが私のデフォルトなので。

個人的には、本当のところはどうなるか分からないけれど、ショスタコーヴィチの14番とモーツァルトのレクイエムのCDでぶったまげたギリシャ人が大期待ですけどね。切り立った崖の際で激しいダンスを正確無比に踊っている感じで、今度出る「春の祭典」はどうなってしまうのだろうか。それと、いろいろ向こうで聞いてよかったなあと思っている息子ジョルダン、そして録音・実演ともに良かったネルソンスが期待の3人ですかね、おっとハーディングを忘れていました。

現在の名指揮者については、お年を召されたかたがたが軒並みいなくなり(アーノンクールは例外だけど)、それもそうだねえと思いつつ、ヤンソンスが非常に高いのでびっくり。それと、MTTがベスト10入りしていないのにもちょっとびっくり。

これから、音友から出ているメンデルスゾーンの「イタリア」の楽譜の「解説」でも読もうかと思っているSt. Ivesでした。

2015.08.01 Sat » 話題の美術館に行った 東京都立現代美術館

どうも、炎天下で飲むホット・コーヒーもまた良かったなあと思うSt. Ivesです。新規開店のお店はいずれも外部から来たと思しき人がいっぱいでしたけど、昔からの先は、地元のお年よりも数多く、若いバリスタと名前を呼び合って世間話していました。

さて、宰相Aの政府におもねったのか、主任キュレーターの嫌がらせか(その場合十分にパワハラですな)分かりませんが、会田家の展示撤去問題で揺れ、その結果か、空調までおかしくなってメチャ暑かった都立美術館@清澄白河まで行きました、といっても会田家の展示(結局撤去されないことになった)が主目的ではなく、2012年、104歳で大往生したブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーの展示があるので、出かけたわけです。

で、これが超ガッカリ展示。まったくお勧めしません。これまでみた建築家の展覧会では最低レベルです。

まず、あの巨大な空間をまったく生かしきっていない、小さなモケイばかり(ひとつだけ公園を歩けるようにした展示があるが、それで何?という感じ)の展示、かつ説明もほとんどなし。重要な説明は、1時間!ほどのビデオに任せているという態たらく(我々は誰かの作ったドキュメンタリービデオを見るために来たのではない!)。さらに、建築物の内部や構造についてはほとんど言及せず。これでは、いったいどんな建築かさっぱり分からない。たとえば、岩を家に取り込んだと書かれていても、それがどんな風に取り込まれているのかさっぱり見えない。はっきり言ってニーマイヤーの建築写真集を買って読むほうがよっぽどまし。

そして、ニーマイヤーと言えば「国連ビル」と「ブラジリア」であるが、前者については、数年前の森美術館のル・コルビジェ展をキュレーターはちゃんと調査したのか?と思うほどコルビジェとの共同作業の顛末すら書かれていない。そして「ブラジリア」、壮麗な大都市とだけ説明して、現在、まったく住む人、働く人の移動を考えていないことによるスラム化と大渋滞の問題について触れていないし、この都市の建設がブラジル経済を疲弊させて、その後の頻発する軍事クーデターや悩ましきインフレ経済につながっているといった話もない(直接はニーマイヤーに関係ないが)。さらに、建設から50年以上経過して、そのメンテが大変であることも。

新国立競技場の問題にしろ、あるいは膨大なダムや高速道路を作ったはいいが、その費用負担、膨大なメンテ費用といったわが国の抱える問題や現在の建築家に求められる問題意識との照応がまったくない、実にお目出度い展示であった。どこが「現代」美術館なのだ?こんな低レベルの展示しかできないキュレーターは首にすべきだ。

一方、例の会田家の展示のある子供向けとされるほうは、昨年亡くなったヨーガン・レールの詩的でシンプルで明るいインスタレーションは、多分、子供でも感じるところがあるのではないかと思われる。磯田氏の作品は、子供しか入れない場所を作るコンセプトは面白いけど、事前解説の字が多すぎ。そして会田家、撤去するほどの内容ですか、これが?という感じ。個人的には、ゴチャゴチャ系でそれほど好きではないが、大人は面白いけど、子供はどうなんだろうねえ、いろいろ政治的な内容について大人が聞かれて答えられるか問われる作品が多いなあと思いましたけど。まあ、文科省が馬鹿なのは今に始まったわけでなく、自分達より馬鹿を生産するためにくだらない教科書検定やくだらないこまごまとした規制を学校や大学にかけているからねえ。さらに子供<高校生>は政治にかかわるなというくだらない通達まで出している。政治的自由制限をかけてどうするんだ、アメリカ大統領選挙を見ろ、高校生がボランティアで参加しているぞ。それにしても、宰相Aよ、鎖国したらチョコレートだけでなく、あんこも食べられないと思うのだが(輸入制限をかけている小豆はともかく砂糖が入ってこないので)。

というわけで、常設展「戦後美術クローズアップ」の石井茂雄作品と大岩オスカールの「戦争と平和」、木の年輪をレコードとして音を聞かせるバルトロメウス・トラウベックの「Years」そして、その巨大さと黒々さとタールの香りで強烈な存在感を示している遠藤利克の「泉」を見に行ったようなものだなと思ったSt. Ivesでした。そう、展示空間が広いので子供が中で鬼ごっこできるのが良いね(監視員は困っていたけど)。

2015.08.01 Sat » 小説で読む20世紀音楽史 リチャード・パワーズ著「オルフェオ」

どうも、ということで、リチャード・パワーズの小説「オルフェオ」を読み終えたSt. Ivesです。非常に読みやすく、面白く、特に、いわゆる前衛だけでなく、「社会主義リアリズム」も含めた広い意味での20世紀音楽史と実際の歴史を重ね合わせるとスリリングで、一気に読んでしまいました。実在の生きている演奏家で言及されるのは、レヴァインだけなのはなぜ?と思ってしまったけど(ファンなのかな?)。

以下若干のネタバレあり。

聴衆のいない、誰にも聴かれない音楽は成立するか?小説の途中で、ライヒの作品の歌詞でさりげなく言及されるヴィトゲンシュタインの私的言語論と同様の問題への回答は、小説を読んでくださいなという感じ。閉鎖的・カルト的な現代音楽愛好家にとっては示唆的な小説。もっとも、クラシック音楽の聴衆自体が閉鎖的・カルト的なデュオニソス的集団かもしれないけれど。

さて、小説の始まる前、パワーズは、メシアンの「時のおわりのための四重奏」成立状況についてレベッカ・リシンの著作をもとにしたと記していますが、これは、アルファ・ベータ社から出ている「時のおわりへ」のことでしょう。これに限らず、さまざまな作品、音楽史上のエピソードが小説の内実に結び付けられながら語られています。もちろん、アイヴズの交響曲第4番もちらと言及していますけどね。でも、混沌への回帰ではないのだけれど...。ちなみに若い頃の主人公の夢は、リゲティに成り代わってリゲティの「レクイエム」を作曲することだったそうです。

アイヴスついでに、主人公が、生まれた頃からカーターを聞かせれば、それに感動するような子供になるんだろうか、といった述懐がありました。答えはイエスでしょう、アイヴスの受けた教育を考えれば。もっとも、感受性は人によって違うからなあ、私の中学・高校の音楽教師が、授業中にベルクのヴァイオリン協奏曲を聴いて感動するなんて訳がわからんと述べて、そっちのほうが訳がわからないと思ったよなあ。まあ、その教師は、ショスタコーヴィチの交響曲はどれが良いか生徒に質問して、4番、9番、13番、14番といった声が返ってきたにもかかわらず、5番を授業で流したような人だったからなあ。

最後に、帯にある細川周平の「ショスタコヴィチから」という言葉は、作中の重要なエピソードからすると「マーラーから」のほうが良いんじゃないかと思うんですけどね(裏帯にはそう書いてある)。

翻訳者が後書きで触れている、似たような主題でより複雑な構成・内容の「黄金虫変奏曲(ゴールドバグ・ヴァリエイション)」の翻訳はいつになったら出るんだろうかと半ばあきらめているSt. Ivesでした。次のグールド記念年までにはお願いしたいものだが。



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AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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