どうも、ここ2日程コンサート後に食事したり、飲んだりして帰りが遅かったのでサボっていましたが、引き続きサントリー・サマーフェスティヴァルに通っています。
24日 音楽の現在─海外の潮流─ 室内楽
ユンファ・チョウ 直示
スンヨン・パク あなたの言うままを口真似します
デヴィッド・ホーン 破砕した楽器
リイカ・タルヴィティ 蜘蛛の巣の向こうに
エドワード・トップ 射祷
フィリップ・マヌーリ 驚くべきアイディンティ
指揮:板倉康明
ハープ:木村茉莉、ギター:鈴木大介、チェロ:アデル亜貴子カーンズ
演奏:東京シンフォニエッタ
マヌリ(1952年生)以外は全員70年代生まれ。最初の二人は韓国人の女性で、来日していてプレ・トークがあったが、正直言って、韓国語の通訳を挟まずに、司会の岡部氏が英語かドイツ語で尋ねて、それに答えてもらったほうが分かりやすかったと思った。
さて、岡部氏に「ドイツ的」と評されたチョウとパクの作品は私は結構気に入ったのでした。特殊奏法を交えながら、音が(特にピアノを交えることで)垂直に切断されつつ進む「直示」(言語学の用語だが、正直分かりません)。一種の変奏曲だと解説に書かれており、聴いているとそうかなあという感じもするが、それよりも音の組み合わせと進め方が気に入った。この点はパクの作品も同じだが、こちらの方がより聞いた感じが柔らかいこともあってか、拍手が多かった(私はチョウの方が良かったと思うけど)。
続くホーン。経歴(英国出身etc.)を見て、「これは...」と思ったら案の定アデス&タネジの中間線、ただし作品がハープ中心でより繊細に音を編んでいくというもの。上手いとは思うけど、前2者の後だとちょっと退屈したのでした。
タルヴィティ。うーむ、大雑把に言って、コード鳴らしているギターに無調っぽいチェロ(でもだんだん旋律化)という、楽器固有の音色も含めて、サイケデリックな対比に私には聞こえて、違和感大有り。体感する演奏時間が長いので最後は、こんなものかと慣れてしまったが、箸休めなのかな?
トップの「射祷」。解説によると「射祷」とは「短い祈り」という意味だそうで、三省堂の新明解(第4版)や辞林21には載っていませんでした(というより読みは「しゃとう」なのか「いとう」なのか「しゃじゅ」なのかいまだに分からない)。
さて、曲名とはまったく異なる連想が聴いていて私には働くのでした、酔っ払いたちが大騒ぎして、時々皆でいっせいに「そうだそうだ」と頷いて、酔いが回ってろれつが回らず段々眠る奴も出てきて、最後に「帰るぞ!」「おー」と盛り上がって終わる、というもの。木管五重奏ということもあり、音色的にもユーモラスで、聴いていて面白かったのでした。
最後のマヌリ。上手いとは思うけど、隠れた引用(特にストラヴィンスキー的リズムと80年代以降のブーレーズ的色彩感)が耳につくし、隠れていない引用(ルルのテーマとか、意図したかどうか知らないけど第1曲最後のブラ4の第1楽章のテーマっぽいのも気になったなあ)、特に最終曲の盛り上げ方はノタシオンIIを思い起こさせてしまうし(あれ自体が何でブーレーズが?と思うのだけど。ルー・マルトーはいずこに...)。卒ないけど、それで何でしょうかという感じは、マヌリの過去の作品(といってもCD数枚分)についてもそうだけど、思うのでした。
なんというかフランスの作曲家あるいはIRCAMにいた作曲家の多くが、音色(操作)の海に溺死してしまっているような気がするなあ、という考えを強めてしまったのが25日。
25日テーマ作曲家 マルク・アンドレ・ダルバヴィ
リンドベルイ:彫刻
ダルバヴィ:ピアノ協奏曲
ヤナーチェク:霧の中で 第4曲
ダルバヴィ:ヤナーチェクの作品によるオーケストラ変奏曲
ドビュッシー:海
指揮:マルク・アンドレ・ダルバヴィ
ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
「なんじゃこりゃ」、「誰がよんだんだ!(湯浅だけど、22日のレクチャーで会ったのは10年ぶり、その間の作品は聞いていないとかのたまっていた。おい、責任者がそれでよいのか!)」の連続であった。
リンドベルイ:単一の(詰まらない)モチーフをド派手なオーケストレーションで25分近くまで引き伸ばしただけの作品(それはそれで立派である。現代のリムスキー・コルサコフと認定)。パイプ・オルガン(鳴っていたのか分からないほど目立たないのだが)、2本のワーグナー・チューバ(ホルンも持ち替え。でも必要性はあるのか?)、2台のピアノ(時々聞こえた)、多数の打楽器と金管楽器主体の豪華絢爛さは、偉大なフランク・ゲーリーの建築物ではなく、丹下による東京都庁の誇大妄想的な無意味さこそ相応しい。
ダルバヴィのピアノ協奏曲。昨年のPromsで初演。うっかりロンドンの知り合いに録音を頼むのを忘れていたが、テープが無駄にならなかったことを神に感謝しよう。
全体は大まかに3部に分かれると聴いた(ただし第3部は短いけど)。第1部のアイデアは下降する和音、そしてそれを分散してスケール化して、早回しのテープを聞かせるようなピアノのモチーフを延々と繰り返し、それをオケで盛大に鳴らしていくもの。スペクトル楽派は単に音を垂れ流しているだけという批判があるが、この作品については返す言葉が無い。
第2部は、長い休止の後、第1部で何回か出てきた「叙情的」なモチーフをたらたらと繰り返していくもの。カデンツァっぽい部分もあり、その後第3部で第1部の「アイデア」が若干再帰してフィニッシュ。
アンスネスのために書いたとのことだが、アンスネスに弾いてもらうまでもない、というよりこんな曲弾くヒマがあるならば、魔術的な演奏であった「展覧会の絵」を録音して欲しいよなあ、シューマンでも良いけど。
ダルバヴィ:ヤナーチェクの作品による変奏曲。価値があるとすれば、原曲をアンスネスが弾いてくれたことか。
変奏曲と名づけているが、どこが変奏曲?という感じ。原曲をそのままオーケストレーションしただけと言っても良い。「霧の中で」の特徴的なモチーフを繰り返し繰り返しオーケストラでぼやかしつつ重ねていくのだが、音を濁らせない点はさすが音響分析の専門家と感心した。
ただ、似たような作品は当の昔にあるわけで、聴いている間中ディーター・シュネーベル(1930生)の「シューベルト・ファンタジー」(1978年作曲、1989年改訂)とか、Mahler-Moment(1986年作曲)を思い出してしょうがなかった。ノー・アイデアなので、昔のアイデアを借用してオーケストレーションで勝負したということか。
ドビュッシーの「海」の演奏は、ブーレーズの弟子らしい空手チョップが見れたなあという感じ。取り上げる必然性が感じられなかったし、演奏も、大して海を聴かない身にも、音響のバランスや音色への配慮が無いなあという感じ。
30日の室内楽には行く必要が無いことが分かったと言う知り合いが多かった演奏会。
26日 あるパトロンの肖像 パウル・ザッハー生誕100年記念
室内楽
パウル・ザッハーを讃える12のチェロ独奏曲より
ベリオ:言葉は消える
ブリテン:ザッハーの主題
デティユー:ザッハーの名による3つのストローフ
ホリガー:弦楽四重奏曲
ヴェレシュ:弦楽のための4つのトランシルヴァニア舞曲
ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲ニ調(バーゼル協奏曲)
指揮:佐藤紀雄
演奏:フェスティヴァル・ストリングス
開演前に、指揮者の佐藤氏が登場して、解説にこだわらずに聞いてほしい、特にホリガーの曲の流れに沿った解説を後追いするような聴き方はやめて欲しい旨の挨拶あり。しかし、解説抜きでホリガーの弦楽四重奏曲が圧倒的でありました。
ホリガーの作品はライヴ、CDを通じて初めて聴きましたけど、圧倒的でありました。さまざまな奏法による多彩な音響(まともな普通の弦楽器の音こそ無かったような気がする)や、多分偶然性も取り入れつつ、密度の高い音響が、どういう構成かは分かりませんが30分を大きく超える間、渦を巻きつつエネルギーを失っていく。最後は、各弦楽器奏者が寝ているかのような格好で息をし、それが止まると静かに舞台を立ち去り終了。ホリガーにこんな曲があるとは知りませんでした。
さて、最初の3曲とベレシュの曲ですが、正直印象に残っていませんので割愛。最後のバーゼル協奏曲は、私は残響たっぷりの光り輝くカラヤン盤をDGから20世紀クラシックとしてCD化されて依頼愛聴していて、「うーむ、違い過ぎる」と思って聴いておりましたので、感想は書きません。
明日は芥川作曲賞。30日も、「ダルバヴィとは今生の別れだねえ」と、一応聞きにいきます。アルディッティSQは無事に来日しているのだろうか?「精霊」と「光の波」を聴きにいくつもりなのだが。
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