土曜日に三省堂に行き、"A Wild Haruki Chase"の近くに並んでいたので購入し、ああ、記号好きなイタリア人による中世の修道院での連続殺人の物語に似ているなあと思いつつ読み進め、そういえば外信欄で一昨年だかにオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺について発言して物議を醸したが、フランスがそれを否定することを認めない法律ができた今、それに対してどう反応するのだろうかとか、最近のとある告白で多くの人々に恐ろしい叫び声をさせてしまった法でアウシュヴィッツを否定することを認めない国の老いた作家はどう反応しただろうかとか思いつつ、今しがた読みえ終える。
オルハン・パムク「私の名は紅(あか)」。作品内容はこれ以上は書かない、私もかつての推理小説の愛好家として。とはいえ、これは推理小説としても読めるがウエスタン・インパクトとイスラム原理主義と永遠の美についての書物として、あるいは明治期のわれわれの祖先が体験したであろう、そして書物によってのみ追体験し得る世界を別の国の別の視点から描いている小説とも読める。もっとも、その帰結は「アラブの見た十字軍の作者」が後書きで書いているような長い眠りと、脱亜入欧の果てに本家顔負けの神の、単数だ、黄昏を迎えた違いはあったが、いやこれは違いか?
なお、推理小説の愛好家としては、トルコ語の文体がどの程度翻訳に反映されているのか、かの3人による「ユリシーズ」並みに反映して欲しい、誤訳だという「犬」ならぬ「猫」からの講義・抗議も聞こえるが、とまでは望まないが、どうなのだろうか?編集者による校正が入っているので、文末表現が数行おきに変わるのは故あってのことだろうと思うのだが、何を反映しているのだろうか?少なくとも「藪の中」と「アクロイド殺し」を読んだ身には非常に気になる。
その後、ロバートソン指揮のマイスタージンガーの第2幕、第3幕が録音されていると書かれたテープが無音であったことに、サロネン指揮の「千人の交響曲」のへぼさ加減以上の衝撃を受けたことを書き記しておこう。
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