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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。
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本日から通勤のお供は、メッツマッヒャー指揮のハルトマン交響曲全集(EMI)。1枚ずつ購入したので、他のカップリング曲も合わせてiPodに格納しており、まずは交響曲第1番の巻からなのですが、

マルティヌー:リディチ村の思い出

で始まり。お次に

ノーノ:生命と愛の歌

と来て、その後に

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り

まで聴き進めると、分かっていたとはいえ、やっぱりどう考えても朝の通勤の音楽ではないなあ、家に帰って布団を被りたくなってきたなあ、仕事前に「ワルシャワ」を聞けるのはゴルゴ13くらいだよ(どうやら「ワルシャワ」が好きらしい)、とユダヤ人達の悲痛な合唱?が終わるや、ハルトマンを聞かずに曲目変更準備。ふと、お隣を見ると、やや!見たことのある絵、「のだめ」、それも学園祭のシーンとは昨日の放送分でないですか。では、ラプソディー・イン・ブルーかラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でもと思ったのですが、いずれもiPod未格納。


帰宅して毎日新聞を見ると、学芸欄に「プラハのハルキ」の記事があると思うと右隣にまたもや「のだめ」が。書いているのは渡辺裕 東京大学大学院教授(美学芸術学)。

お題は「近代的芸術家像の商品価値」「”のだめ”に見られる『本物』性」というもので、アドルノかベンヤミンが半世紀以上も前に言ったことを焼き直し、そこで出来たお焦げを水に溶かしたような代物でありました。

紙面の1/4ページ近く占める文章を乱暴に要約すれば、「のだめ」は19世紀的な、伝統的な芸術家像の形を変えた再生産機械である。「内面からあふれ出てこそ『本物』の音楽」などというイデオロギーがそもそも問題だ。また、芸術家だってれっきとした「社会人」なのだし、現実とかけ離れた存在ではない。100%内面からあふれ出る「本物」の音楽などあるはずもない。音楽市場とはそれが成り立つような市場だということを、批評や伝記、映画、肖像画が作り上げてきた。「のだめ」もそうしたものの一つである。

なお、最後をこう締めくくっております

「このドラマをみて、自分が『本物の芸術家』たる証として、部屋を散らかしたり、楽譜を見ずに弾いたりする音楽大学の学生がたくさん出てくるかも...。いやはや」


これで東大の美学の教授とはねえ...。いやはや。


さて、「プラハのハルキ」の左隣は、「発明の眼差し」と題してとある経営コンサルタントの寄稿。「タイム」で「ユー・チューブ」が今年最大の発明と取り上げられたことに驚きを示しつつ、こう締めくくっています。

「仕事柄良く『日本から○○のような新しいものが生まれないのはなぜだと思うか』と問われる。新しい発明には、既存の社会の枠組みを脅かす要素が含まれることが多い。『そういう新しさを若者たちが発明したとき、大人たちがおっちょこちょいにも一緒になって面白がり、奨励できるかどうか。そういう空気の質が、日米ではぜんぜん違うんですよ』と僕はいつも答えるのだ」。


本日の毎日新聞の学芸欄の紙面構成を考えた人は優秀ですなあ。

No.165 2006/11/14(Tue) 22:53
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