4文字33行

近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

2017.05 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 » 2017.07

--.--.-- -- » スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2007.12.17 Mon » 再:沼野雄司の「リゲティ、ベリオ、ブーレーズ 前衛の終焉と現代音楽のゆくえ」について

どうも、本日は日長一日CDを聴いていたSt.Ivesです。

さて、沼野氏の「リゲティ、ベリオ、ブーレーズ」(音楽之友社)については、以前に書いてあることに尽きますが、お二方からコメントもあり、あらためて簡単に、でもダラダラとお答えします。

本書は、「およそ1970年前後という地点に現代音楽の大きな切断点が存在していることを、作品の内部から明らかにすることにある」とされており、この結論に向けた作業を行っています。さて、「現代音楽」全体はともかく、この3人については、第3章の「反復」、第4章「調性への接近」の分析結果が全面的に採用されており、その内容は今更言わなくても、それぞれの作曲家の作品を時系列に聞けばわかるでしょうということに尽きます。というのも、反復であれ調性(への接近)であれ、まさに「認知=聴くという行為」によって明らかなので、それぞれの楽譜で確認しました以上の何かがあったのかなという点で期待はずれでした。もっとも、1970年頃は「切断点」なのではなく緩やかな以降の一通過点に過ぎないと感じますけれど。
そういう点で、この論文の価値は何でしょうか?ベリオの反復の数え上げはお疲れ様な作業ですが、まさかそれが褒められたとは思えませんし。
余計は話ですが、ベリオの反復の数え上げは直近作まで行って欲しかったです、というのもこの数字をエクセルに入力して近似曲線(2次、3次、4次)を当てはめてみると、1969年作曲のエス、1971年作曲のアニュスを頂点として、反復の割合は緩やかな減少トレンドを描いていて興味深いです(もっと当てはまりは悪いのですけどね)。専門の統計ソフトは不要です、マイクロソフトのエクセルとこの本をお持ちの方はおためしあれ。

私が、無価値だと思った別の点は、データの取り扱い、特に第2章の「記譜法」で最も強く感じるのですが、その選択・抽出・整理、統計的処理およびその結果の表示についてです。リゲティ、ベリオ、ブーレーズの3つの主体を取り上げる以上は、この3人の作品(サンプル)については取り扱いと結果の表示を統一し、時系列的に比較可能な形で示すことや、過去から直近までの作品すべてについて取り扱うこと(何故第2ソナタ、ソナチネがないのか?)が普通の学問ならば求められます。筆者は、1970年頃の変化に囚われてしまい、その前後以外の時期についてはすっ飛ばしてしまい勝ちあるいは、自分の論証に都合が良い時はデリーブだのレポンだのといった別の場所では無視している作品を恣意的に取り上げる悪い癖があります。


ところで、何故リゲティ、ベリオ、ブーレーズを取り上げているのでしょうか。日本に住んでいるならば、豊富なデータの取り扱いが可能な武満も何故取り上げなかったのでしょうか。第1章で触れているクセナキスでも良かったのでは?前衛以後の作曲界への影響力を根拠として取り上げていますが、具体的にはそれは何でしょうか。弟子の数、公職、作風(これがまさに問題となっているのに、それを理由には取り上げられないでしょう)、何でしょうか?

一般に代表例を取り上げて何事かを言う際には、それが代表例であることを明示して始めなくてはなりません。そして代表例は、多数のサンプルの中心、サンプル共通の諸要素を多く持っていることが必要でしょう。なので、通常は、分けの分からない理由付けはやめて、サンプル(対象作曲家)を可能な限り多くした上で、「平均的」に「19○○年前後に変化があった」と言うのが普通でしょう。そうした作業を一切省いているので、私は、「統計」的な処理を装った、あるいは楽譜内にとどまったという客観性を装いながら実は主観的な操作を結果ありきで行っているに過ぎない、つまり無価値であると感じたのでした。

仮に、多数の作曲家の過去から直近までの作品をきちんと並べて分析を行えば、構造変化は通説の「1970年頃」でなかったかもしれない(あるいは少なくとも1970年頃に構造変化は生じなかったという反対仮説を棄却できなかったかもしれない)。こうした可能性を排除しているのは、ただただ残念です(といっても、個人的には1980年頃だろうと1970年頃だろうとどうでもよいのですが)。

なお、補論については、言わずもがなというか全く分かっていないです(アドルノやホルクハイマーを読みすぎたのかな?)。経済的要因に踏み込む以上、根っことなる「統計」とその適正な処理を前提にしない議論は、ただのヨタ話に過ぎません(もっとも、経済論壇にも似たようなヨタ話は数多くあり、一介の音楽学者にそれを求めてもしょうがないかもしれません)。他にも第1章でエリート性の説明をピエール・ブルデューの社会的位置空間をひっぱってきて説明していましたが、ブルデュー自身の意図は別にして、そもそもアンケート調査は、ある時点における割合や位置がある程度まで分かるが、絶対数は(よほど統計的に有意なものでなければ)出てこないし、時系列的に観察する必要もある代物ですので、いくらブルデュー大先生のものだからと言って、それに寄りかかるのは危険じゃない、と思うのでした。因みに、ブルデューを理論的なバックグラウンドとしたレギュラシオン経済学は、昔流行しましたけど、フォーディズムとか言葉遊び以外の何物でもないという記憶以外を私はすべて忘れてしまいました。

正直なところ、読んでいてその論文としての杜撰さに胸が痛んだのでした。あまり知らない領域にまで手を突っ込まずに論文を書くべきでしょうねえ。どうしても、知ったかぶりで何かかっこつけたいことを書きたいならば、せいぜいこういったブログにとどめましょう(笑)。そう、「語りえないことは沈黙しなくてはならない」、いや学者ならば、矢野先生に倣い「語りきれぬものは語り続けなくてはならない」でしょうか。改訂版を期待しましょう。


これから、ソーカルの「知の欺瞞」でも読もうかと思うSt.Ivesでした。
スポンサーサイト

« | HOME |  »

comments
comment posting
管理者にだけ表示を許可する

trackback

http://stives.blog15.fc2.com/tb.php/277-25680dae

09profile.gif

St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

09category.gif
09entries.gif
09comments.gif
09trackbacks.gif
09archives.gif
09link.gif
09others.gif

FC2Ad

09search.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。