プーシキン美術館展@東京都美術館に行き、その後パール展@科学博物館に行く。どちらも良い展示であった。前者は規模こそ小さいが、見応えのある作品が多かったし、後者は良く知らない真珠を巡る様々な知識を仕入れられた、もっともカップルで行くのはお勧めしない、最後の最後に「ミキモト」のショップが待っているのだ(笑)。
さて、上野への行き帰りに読んだのが標題の「またまたへんないきもの」である。「またまた」付いているので続編らしいが、最初のは読んでいない。イラストはその物がどんなものか分かるようにきちんと描かれているが、面白いのは説明文である。一例を挙げておく。対象は「トラフカラッパ」というまん丸な形をした一見豊満な蟹。サブタイトルは「蟹の仮面の告白」
(強調されている部分は原文においても強調されている)
蟹の仮面の告白
トラフカラッパ
三島由紀夫はカニが嫌いだったという。我々凡人にはカニといえばカニ鍋しか浮かばないが、三島は鍋はおろか「蟹」という文字さえ嫌悪したという。脚を何本もはやらかし両手は嗜虐的なギロチンばさみ、その上、鎧の牢獄に我が身を幽閉したかのようなこの閉所恐怖症的生物に、彼の文学的感受性は耐えられなかったのかもしれない。泣き濡れて蟹とたわむれる啄木とはえらい違いである。
しかし、丸々と肥え太り、平安の姫君のように恥ずかしげに顔を隠すトラフカラッパには、嫌悪すべきカニのイメージはあまりない。
巻貝が好物のこのカニは、貝を拾うと表千家の作法に則り、殻をくるくると回してよく吟味、お気に召しますとお道具のハサミで殻を綺麗に割りつつ、中のお肉を少しずついただく。こんな華族の晩餐の如き優雅な美食で肥え太ったかもしれないが、これに比べると、他の駄カニ類が餌を貪る有様は品位に欠けると言わざるをえない。
しかし上品な食事といっても、貝を片手で割るなどとは、鉄板を素手で割り裂くような凄まじき芸当だ。貝割り用の缶切りバサミとして進化、サイボーグ並の怪力を発するお道具があってこそ、この品位は保て、そして優雅に肥え太ることができたのだろう。
ならばさぞお肉もたっぷり・・・と凡人にはやはり食うことしか浮かばない。だが実はこのカニが立派なのは甲羅とハサミだけ。その身の貧弱さはガンジーと互角で、こんな間抜けな正体をみたら、三島の嫌悪感も減じ、その魂も少しは和んで、ひょっとして市ケ谷にも行かなかったかもしれないというのはくだらぬ妄想に過ぎないだろうか。
[トラフカラッパ]
甲幅12センチほど。甲殻鋼十脚目カラッパ科。南太平洋、インド洋の水深30〜60メートルの砂底に棲む。体半分砂に隠し、口部と鉗足を閉じ合せ、呼吸水を濾過する。特殊化した鉗(ハサミ)で巻貝を割り、中の肉を食べる。雄が雌を背後から抱くようにして交接を行なう。
帰りに「へんないきもの」を購入したのは言うまでもない。
明日はエマールの弾くブーレーズのピアノ・ソナタ第1番を聴きに三鷹に行きます。
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