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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2011.02.05 Sat » ゲノフェーファ

どうも、本日は所用を済ませたのち、日本科学未来館でテオ・ヤンセン展を見て、それから三菱一号館で「カンディンスキーと青騎士」展を見て来たSt. Ivesです。さすがに疲れました。テオ・ヤンセン展のビーチ・ビーストは、本日は風が無いのにどうやって動かすのかと思ったら、室内でちょこっとだけ動かすのでした、てっきりお台場の砂浜で動かすと思っていたのでがっかり。
カンディンスキー展は、レンバッハで何回か観たものが多いので、思い出と共に楽しめました。会場では大音響でシェーンベルクの三つのピアノ曲op.11がエンドレスで流されているかと思ったのでしたが、そんなことはなく、ちょっとがっかりしたことはありません。


ということで、シューマンのオペラ「ゲノフェーファ」の日本舞台初演に出かけたので、その感想をば簡単に。


のっけから脇道にそれますけど、プルーストの「失われた時を求めて」のゲルマント家の方へだったか、土地、土地の名のだったか記述場所を忘れてしまいましたけど、「私」が影絵(幻灯機)でゲノフェーファに襲いかかる悪辣なゴローの話を幼いころに見た思い出を語っていますが、初めて「失われた時」を読んだ30年近く前は、「メリザンド」の間違えではないか?とか思ったのですが、ほぼ同じころ全巻図書館で借りだして読んだ「名曲解説全集」の補3「歌劇声楽曲」にシューマンのオペラ「ゲノヴェーヴァー」が掲載されていて、何と、そんな話(オペラ)があったのかと思ったのでした。アーノンクール版の解説では、昔はよく知られた話であったと書かれていますが、「私」ことマルセル坊やが小さかった頃はきっと一般的に知られていた話だったんですねえ。

ちなみに、プログラムによると指揮者の山下氏もシューマンにオペラがあるとは知らなかったそうで、まあ、アーノンクール盤が出るまではマズア盤程度しかなかったと記憶しているから仕方ないよねえ。

と、同時に、まあ知られなくてもしょうがないよなあという作品だとあらためて私は思うのでした。シューベルトのオペラよりはまだ見聞きできそうだけど、ヴァーグナーを聴くと、「魔弾」から「タンホイザー」の間には何もないように思えてしまうのですけどねえ。シューマンも、もう一人のリヒャルトがその父に「「タンホイザー」を参考にしろと言われたようにヴァーグナー作品をある程度参考にすればよかったのにねえ、というかなんとなく影響のありそうな音響も聞こえたけど(逆に、鏡のシーンは、「パルジファル」の花園を、「私生児」とゲノフェーファーがゴローを詰ったシーン何かは「ラインの黄金」のアルベリヒ、あるいは、シュレーカーの「烙印を押された人々」の最後のシーンとかを思い出したけど)。しかし、シューマンにとっての「グントラム」ですなあこれは。何というか、フランク王国の時代、まだ「恋愛」すら発明されたか発明されていないかの時代に、行動してしまったウェルテルを持ち込めばねえ、そりゃあ「グントラム」のようになってしまいますなあ(あれも最後はなんじゃという感じだけど)。それと最後の合唱部分が長過ぎ、夫婦善哉「フィデリオ」じゃないんだし(目指していたかもしれないけど)。

素人さんがヘフリッヒで復刻されたスコアを見ても何も分からんけど、アーノンクールは美しいといい、山下氏も魅了されたと書いており、実際に鳴らされた音は、シューベルトのオペラ同様に個々のナンバーというかシーンは美しいところもあり、まぎれもなくシューマン何ですけど、全体のドラマツルギーというか構成はちとよろしくありませんなあ。第1幕とか、第3幕とか魔女マルガリータが出てくるところは結構面白いけど、これって「ドン・ジョヴァンニ」じゃない?とか思ってしまうのでした。火刑になっても「ノー」と言って欲しかったよなあ、彼女には。しかし、ひっかかったとか言っているところは、ブゾーニの「ファウスト博士」やプロコフィエフの「火の天使」とか思い出しましたよ。

それにしても、第2幕のゲノフェーファーが群衆に詰め寄られて嬲られるシーンは、何と本日の公演に臨席していおた我が国の皇太子にはちと辛いシーンではなかったかと(妃と姫は伴っていませんでした。東宮の役人たちがが底意地悪く観劇をお勧めしたのかな?)。まあフォン・アイネムの「ダントンの死」の遠いご先祖ですなあこの作品は。王や王妃が群衆に詰め寄られてその地位や権威を失うというシーンがもろに描いたオペラはあの作品まで無かったように思うんですが、多分ビュヒナーは読んでいなよなあシューマンは。

かように、惜しいところは多々あるけども、残念な作品でありました。

演出には、ブーが飛んでいましたが、その人は一体全体どのような演出を望んでいたのでしょうかねえ?DVDになっているチューリヒ歌劇場での上演のような舞台でしょうかねえ。もちろん、最初の合唱でゲノフェーファーがお付きの人々と場違いな遊びに興じているシーンはよろしくありませんでしたけど。まあ、低予算舞台に見えてしまうのですが、まあ分かり易いものでした。そもそも読み替えとか難しそうだしねえ。最後の部分は、言葉とは裏腹の両者の亀裂を演出では示していましたが、近代人アラベラではないので、やはりジークフリートを許さんでしょうゲノフェーファーは。そうした解釈は良いのですが、演出上はもうちと雄弁に見せて欲しかったよなあという気もしています。それと、ご都合主義の民衆やいい加減な手紙をジークフリートに送った司教とゲノフェーファーとの関係でも色々とみせれそうですけどねえ、あのシーンは。ところで、彼女はいずれ誰かにジークフリートの背中に弱点があるとか教えるのかな?ゲノフェーファをクララに、ゴローをブラームスと置き換えると、ブラームスを消したいうという潜在意識がシューマンにあったのかなあ、あっまだ知りあう前の作品だった。

衣装についてはちと注文があります。「行動してしまった」ウェルテルであるゴローだけ18世紀終わりごろの衣装で後は古代末から中世初の衣装で良かったのでは?城務めの上の人々とその他の違いで、ジークフリートも19世紀的衣装にしたのでしょうけど、あの世界ではゴローだけがシューマンと同時代の異質な人に見えて、あとは身分・キリスト教的倫理観で動く「お人形さん」のようなんですけどねえ。沿う意味でも「タンホイザー」の影響があるなあと。

さて、歌手。ジークフリート役が、太田氏病気につき、今尾氏に変更されていましたが、プログラムには今尾氏が紹介されていました。不思議です。ちと声が届かない感じはしましたが、まあこんなものかと。
ゲノフェーファー役の天羽氏は、中々に可憐で通る声で、アーノンクールのDVD盤で歌っているユリアーネ・バンゼよりも私の好みの声質であります。
ゴローのクリスチャン・シュライヒャーは活動的な演技ともどもよろしかったです。
ちと残念だったのは、ドラーゴ役の大澤氏。鏡の場の後に「騎士長」よろしく再登場してマルガリータと対決する場面で声がちと外れ気味でありましたが、まあシーンを壊すほどではありませんでしたので良しとしましょう。

指揮と演奏は熱演だったのではないでしょうか、何にしても如何ともし難い作品ですからなあ。

ということで、ショスタコーヴィチのオペレッタ同様に、一度は生で見れたことに満足したのでした。


明日は、「夕鶴」に出かける予定のSt. Ivesでした。行く気はなかったけどホリデーセット券で買ったんでねえ。
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