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近現代クラシック音楽愛好家の徒然草。

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2016.04.13 Wed » ロト指揮 都響 ペトルーシュカ(1911年版)、火の鳥(1910年版)

どうも、ワーナーから売り出されたプラシド・ドミンゴの歌うヒナステラのオペラからの抜粋他を聴き終えたSt. Ivesです。生誕100年、ドミンゴの力でより知られるようになり、オペラ全曲が出てくれないかなと願っています。

さて、4月12日、空席が見当たらない東京文化会館で行われた標記コンサートに出かけました。初の生ロトでありましたが、指揮者もよいけど、何よりオケがいいなあと思いました。透明度が高く美しいながらすごく重量感というか質量を感じるし、非常に音が揃っていて、ピシッピシッと決まっており、聴いていて爽快でありました。そうそう、ロトの指揮は、録音と比較するのは野暮ですが、実演の方が俄然面白いし、迫ってくるのでした。ペトルーシュカはやはり1911年版の方が好きだなあ。ロトを次回呼ぶ際は、「春の祭典」とデュボワか誰かフランスの知られざる作曲家との組み合わせで聴きたいものです。

ブーレーズの弦楽合奏の本を聴きながらのSt. Ivesでした。14,15日に東京文化会館に行きたいなあ。


2016.02.12 Fri » カティア・ブニアティシヴィリ リサイタル2016@浜離宮

どうも、パーヴォの振ったブルックナーの感想を書きそびれていtSt. Ivesです。明日、ブラームスのコンチェルトに行きたいけど行けるかなあ。

それはさておき、12日の標記リサイタルの感想をば。

曲目
ムソルグスキー:展覧会の絵
リスト:三つの演奏会練習曲より「軽やかさ」 
    超絶技巧練習曲第5番「鬼火」 
    ラ・カンパネラ
    半音階的大ギャロップ
リスト/ホロヴィッツ編曲:ハンガリアンラプソディー第2番
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカより3つの楽章

(アンコール)
ドビュッシー:月の光
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番第3楽章
ヘンデル:メヌエット

最近発売されたばかりの彼女のCD「カレイドスコープ」の宣伝も兼ねたような?リサイタルでした。CDで聴く演奏どおりというか実演とCDと変わりませんでしたけど、実演の方が「展覧会の絵」の静謐さ、緊張感は高いものがありました(当たり前か)。指が回るので早いところは軽く進むのですが、「展覧会の絵」はゆっくりの曲の方が聞いていて面白いし、プロムナードも沈鬱な感じで、そりゃ考えてみれば友人の死後の回顧展ですからねえ、晴れやかな場ではないことを忘れていましたよ。

リストはよく知らんのですが、ここでも指と腕が動く動く、打ち込み系という感じ。そのホロヴィッツ編曲のハンガリアンラプソディからちょっと立ってすぐに弾き始めた「ペトルーシュカ」。レコ芸で連載しているドイツ人のおじさんがリストのソナタの演奏に対して「崩し過ぎ」と怒っていたと記憶していますが、ペトルーシュカにも同様に感じた彼女のある種の崩し方というか自由奔放さというか、そこまでピアノの鍵をおしていないようなタッチと解釈は固まっていることを確認。CDで聞くと、気になるところやあれれと思うところもあるのですけれど(ポリーニが基準)、実演では、目にもとまらない連打で縦横無尽に弾きまくり、音の大洪水(大饗宴?)の中では気にならず。いやはや凄かった。

その後、クールダウンの曲でも弾くのかなとおもっていたらドビュッシー、さらに登場、腕まくりするような格好でピアノに座るとはいえ、もう1曲バッハあたりでも弾くかなと思ったら、腕まくりの意味もわかるプロコフィエフの7番ソナタの3楽章を猛烈な勢いで弾き切ってびっくり。若いとはいえ疲れ知らずですな。

次回はプロコの8番を弾いて欲しいSt. Ivesでした。実演では聞いたことが無いんだよなあ。


2016.01.13 Wed » ツィメルマン オール・シューベルト リサイタル@サントリー

どうも、最後にブーレーズの思い出にということで、シマノフスキーの前奏曲op.1-1を弾いたツィメルマンのリサイタルに行ったSt. Ivesです。

ということで、10数年ぶり?に聴くツィメルマンのシューベルトのD959、そして今回はじめて聞くD.960。ホールがでかすぎて、音が遠くて武蔵野に行ってもう一度聞きなおしたいというのが本音であります(行けないけれど)。が、細部まで徹底的に磨かれた端正で美しい演奏でありました。D.959、記憶のかなたにある解釈は変わっていない感じ。第4楽章は、個人的にはもう少しゆっくり目、ポール・ルイスぐらい、が好みですけれど、三連符による格調高くしかし夢幻的な美しさはツイメルマンならではでありました。また、D.960は、D.759(未完成)のように前半2楽章が重いので、後半2楽章をどう演奏するかに注目していましたが、他のピアニストたちよりも心持ちゆっくり目のテンポの採用と絶妙な間を取ることでバランスを持たせていました。でも、もう一度聞きたいなあ。

なお、D.960第1楽章の繰り返しはすべて行っていましたし、楽譜を参考までに置いていました。十数年前の公演では、D.960の第4楽章が極めて怪しかったときもあったやに聞いていますし(私の行った埼玉と東京芸劇では一部、うむむ?と思われるところもありましたが、基本的に極端な「省略」はなかったと聞いています)。

てっきりアンコールはないと思っていたSt. Ivesでした。追悼なんでヴェーベルンの変奏曲というわけには行かなかったのかなあ。

2015.12.17 Thu » ポール・ルイス@王子ホール 12月17日

どうも、ベートーヴェンの洗礼日という本日に行われたポール・ルイスによるベートーヴェンの最後の3曲のピアノ・ソナタのリサイタルに行ったSt. Ivesです。

本来10月28日の予定だったのが、腸の病気だったかで順延。本日も来ているのかなあと不安に思いつつ会場に。
ステージ姿は以前と同じ感じで、ともかく良かった良かった。

さて、演奏はというと、CDの端正な演奏とは異なり、まるでシューベルトの目(耳)を通したかのような、晩年の彼のソナタに非常に近い世界、幻想的で即興的な趣を持った演奏。
例えば、31番第3楽章の出始め、同じ拍で記述されている同音の連打でも、不ぞろいな付点リズムで演奏され、ためらいというかおずおずとした感じを受けたり、突然瞬間的に高速で演奏したり、あるいはノンペダルでポツリポツリと演奏すると思えばペダル踏みっぱなしで豊穣な音塊で押し捲ったりと変幻自在で、最後の3曲では聞いたことがない演奏(ある意味アファナシエフより自由かも)。もちろん、31番の最後の高揚感、第32番第1楽章の鬼気迫る演奏や密集するトリルが永遠に続いて欲しい、時よ止まれと願うほど美しかった第2楽章など、ダイナミックレンジ、音色、音の芯の硬さもCDとは比べ物にならないほどぜんぜん幅が広くて、ちょっと淡白過ぎる(詰まんない)演奏だなあと思う時もあるCDは、「基本設計図なんで、ライブに来てください」という感じ。でも王子ホールの来年の予定にはないんだよねえ、凸版でも紀尾井でも行くよー。


とりあえず今年のコンサート・リサイタルはこれで終わりのSt. Ivesでした。

2015.10.04 Sun » 10月4日 二期会「ダナエの愛」@東京文化会館

どうも、なかなか土日にコンサートにいけない中、本日はめずらしく暇ができて、3つのオペラ・コンサートのうちさてどれに行こうかと悩んだSt. Ivesです。

結局、「復活」はテレビで見られるはずなので、二人のリヒャルトの黄金伝説のどちらに行くかと考えて、初台は来週以降もチャンスがあるかも、ということで実演・録画・録音で見聞きした記憶がないシュトラウスのオペラ「ダナエの愛」に行きまして、これが実に良かった。作品としては、晩年だしどうかなと思いきや、最後のオペラと思って作ったのかかなりの力作。「英雄の生涯」のオペラ版かと思うほど自作の回顧的様相にj加え、オーケストラもブ厚く盛大に鳴るし、主役歌手は3人とも「エレクトラ」張りに歌わされる。その一方で、第3幕、「影のない女」のようにお互いを呼び合って愛を確かめ合う二人で終わるかと思ったら、「アリアドネ」のごとく突然コミカルシーンに転換するし(クリムトの「ダナエ」を思わせるユピテルを忘れられない4人組は、アリアドネの4人組か無口な女の劇団員を髣髴とさせるなあ)、もっともそのきっかけのメルクールの登場シーンの演出は、爆撃後の惨状のような舞台に、放射線防護服に検知器を持ってでてきて、ギョッとしましたけど。もっとも、台本はいささか冗長で、第2幕の最後、ユピテルの怒りと呪いはほぼ同じ時刻頃に初台で呪っている小人さんの方が簡にして要を得た凄みがありましたけどねえ、ユピテルのお怒りのほどもヴォータンの方が激しいかと思いますし(怒りの理由はどちらもしょうもないけど)。そうそう、怒りのシーンでは背景が赤くなったのでローゲかと思えば、メルクールでした(「使者」ですから呼べば時刻どおりに来ると言っていました。ローゲはなかなか現れないけどねえ)。

でも、意外に良い作品かもと思わせた理由は、歌手と指揮&オケと演出と美術が良かったからでして、歌手、主役級が3人、でずっぱり、歌いっぱなしのダナエの林は、最初はとらえどころがないというか何を歌っているかさっぱりわからんほどでしたけど、どんどん良くなり、ここぞと言うときの高音も外さない。特に音楽も舞台も動くのはミダス(福井)登場あたりからですけど、思うに福井の歌唱が全体を引っ張っていったかも。そしてミダス王ではなく主役はヴォータンではなくユピテルだったと思わせる第3幕の長丁場を歌う小林、第1幕の船からの登場シーンは、あれ?と思うほど音程が乱れていたけれど、その後は見違えるほど良くなりまして、第3幕、どうみても「ジークフート」のさすらい人の格好(もちろん槍あり)で登場して、ローゲのようなメルクール(放射線防護服を脱ぐとなぜか手術着、ウォーナーの作ったワルハラ病院にでもこっそり勤務しているのだろうか。メフィストはギリシャや南のことは管轄外と言っていたが、本家は北も南も関係ないのか)にそそのかされてダナエにアタックしてまた振られて、自分で槍を折ってワルハラではなくオリンポスに諦念をもって去っていく様は、歌だけでなく演技も冴えておりました(すでに、舞台は「黄昏」後でしたけど)。そうそう、北の主神は神々の終わりを恐れながら"Das Ende"と歌うのに、南の主神はなんと、「老人」とダナエに言われ"Das Ende"と歌っていました、笑ってしまいました。

「さすらい人」に限らず、演出・美術もリヒャルトの自作回顧ともう一人のリヒャルトを意識したものでした、たとえば、ミダス王からダフネへの求婚の証を届けるシーンにそれまでの19世紀末から20世紀初頭風の衣装の中にロココ調の格好をした少年(黙役)を登場させるかと思えば、箱の中から「金のバラ」が出てくるとか、ダフネのように木に花(バラ)が咲くとか、演出ではないけど、アラベラの一杯の水を思わせるシーンとか。あの空爆後の廃墟と思しき場所での水は格別だったでしょう

1944年の初演後、齢八十のシュトラウスは、ヴィーンフィルに対して、「次はもっと良い世界で会いましょう」と語ったそうだが、自分の晩年、またこのオペラを見た後に同じ言葉を言うことがないようにこれからが正念場だと思うSt. Ivesでした。
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St.Ives

AUTHOR : St.Ives

No hay caminos, hay que caminar...

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